コソボ独立を承認国と非承認国の立場から見る

 南ヨーロッパ・コソボ共和国の独立を認めるか。世界では、認否が分かれています。「コソボ独立になぜ国際社会の意見は二分するのか」では、バルカン半島の歴史を辿り、承認国コソボへの道のりを振り返りました。今回は、コソボを承認国として認める国家、独立を認めていな国々。双方の事情を比較していきます。

コソボ共和国 独立までの近代史

 コソボ独立問題を知るには隣国セルビアとコソボの歴史に触れると、より深く学ぶことができます。「前回の記事」では、古代からのバルカン半島情勢を含み、コソボとセルビアの歴史をなぞりました。この記事の内容を理解する為に、東西冷戦以降のコソボ周辺事情を抑えておきましょう。

 かつてバルカン半島には、ユーゴスラビアという他民族連邦国家がセルビアを中心に構成されていました。東西冷戦が終結すると、共闘する大義を失った連邦は瓦解。ユーゴスラビア各地で紛争が多発します。先んじて、クロアチアなどの連邦構成国が独立、承認国として世界に認められました。コソボの人々も解放軍を結成し、セルビアとコソボ紛争に突入します。その際、ロシアは同じスラヴ民族のセルビアを、始めは非暴力で独立を訴えていたことを理由に、アメリカはコソボに味方しました。双方による戦闘は国際社会に非難され、約1年で停戦。アメリカ主導のNATO(北大西洋条約機構)軍がコソボ領内に派遣され、統治機関の国際連合コソボ暫定行政ミッションが設置されました。その後、コソボ独立に向けてアメリカなど旧西側諸国が動きますが、ロシアなど旧東側諸国が対立します。延々と承認国として認められない苛立ちはコソボ内での暴動にも波及しました。予断を許さないと判断したコソボ議会は、旧西側諸国の後押しにより2008年2月17日に独立を宣言したのです。

コソボ独立 承認国

 アメリカとロシアの対立が、コソボを承認国として認否する上で重要な要因となっていることをご理解頂けたと思います。これから挙げるコソボを承認国とする国家をご覧になっても、旧西側諸国の多さには目を引くでしょう。

アメリカ

 NATO軍で中心だったアメリカは、独立最大の立役者としてコソボ国民から熱烈に支持されています。首都のプリシュティナには、いたる所にアメリカ国旗が掲げられ、紛争当時に大統領だったビル・クリントンの像も建てられています。ただ、コソボの人々はアルバニア人で、主にイスラム教を崇拝しています。アメリカが、紛争当時から対立を深めていたイスラム国家へ。友好的プロパガンダ発信を目論んだ事実は、忘れてはいけません。コソボ領内は、長年の民族対立によってキリスト教文化も入り混じっている地域です。アメリカの支援を受け入れられたのも、アルバニア人の宗教に対する寛容な姿勢。特段、戦争が繰り返されてきた地域特有の事情があるのです。加えて、アメリカを含めたNATO加盟国は、コソボ領内の資源に注目しています。

イギリス / フランス / ドイツ

 NATOの構成国でもあるイギリスとフランスは、コソボを独立宣言の翌日に承認国として認めています。アメリカも同日、承認国として認めました。ドイツは、コソボが独立宣言した3日後に承認国としています。この早々とした動きには、コソボの首都プリシュティナ西方にあるトレプチャ鉱山など。コソボ領内にレアメタルが多く埋蔵されていることが、強く関連しています。石炭だけでも170億トンも埋まっていると言われており、鉱山ビジネスの取引先として魅力的なのです。コソボはヨーロッパでも最貧国とされ、出稼ぎで国外に出る人が後を絶ちません。鉱山採掘の活性化は、今後のコソボ経済を潤すためにも鍵となる重要産業なのです。

日本

 鉱山産業の整備を急ピッチで進めたいコソボにとって、日本は重要な経済パートナーとなりえるでしょう。日本企業の資源採掘は、鉱山が多いチリやベトナムなどで実績を積み重ねてきました。NATO加盟国企業に加え、日本企業の鉱山開発にコソボ政府は期待を寄せいています。他にも、医療、農業、インフラ開発など、日本政府もコソボに対する経済支援の幅を年々広げています。当然のことですが、承認国として認める国が増えれば、荒廃したコソボの国内事情改善も早まるのです。

オセアニア州各国

 承認国として認める動きは、コソボ独立宣言後すぐに旧西側諸国へ波及していきました。オーストラリアも、この独立宣言の2日後に承認国としています。これを皮切りにオセアニア州に属する各国には、コソボ独立を認めていく流れが生まれました。世界の主要国は、コソボ独立宣言後すぐ認否をハッキリさせました。しかし、対立要素がないオセアニア各国にとって、コソボとの国交樹立は喫緊の課題ではなかったのです。2015年6月23日にポリネシア地域のニウエが、コソボと国交を樹立。こうしてオセアニア州に属する全ての国がコソボを承認国として認め、外交関係も結ばれました。

モンテネグロ

 近隣の旧ユーゴスラビア諸国では、コソボを承認国として認めるか。認否が分かれています。ただ、連邦体制下でセルビア人から抑圧されてきた国々は、承認国として外交関係を築いています。旧ユーゴスラビア構成国で今後の動きが注目されるのは、モンテネグロでしょう。ユーゴスラビア崩壊の過程で、コソボとモンテネグロは似た境遇を辿っています。両国とも、セルビアの支配体制に抵抗した時期が重なり、独立も21世紀に入ってから。コソボ紛争で発生したアルバニア人難民の対応も、モンテネグロが引き受けた経緯があります。そのためコソボも、議会にモンテネグロ人の議席を設けるなど、寛容な姿勢を取っています。

アルバニア / イタリア

 コソボ独立の過程で忘れてはいけないのは、南に隣接するアルバニアの存在です。ここまで記事を読み進めた方はお分かりでしょうが、コソボとアルバニアに住む人々は同じアルバニア人です。アメリカの項目で、首都のプリシュティナに星条旗が掲げられていることを執筆しました。それと同じくらい目立って掲げられているのは、アルバニアの国旗です。19世紀に大アルバニア主義が民族内で共有されたとき、赤地に双頭の黒鷲(スカンデルベクの鷲と呼ばれています)の国旗が広まりました。加えて、第二次大戦中にイタリアの傀儡政権が樹立された際。同じく、スカンデルベクの鷲をベースとした赤地の国旗が制定されました。そのためコソボ国内でも、国の記念日にアルバニア国旗が掲げられることが日常の様です。また、NATO主導で制定された現在の国旗に、多少の不満を持つコソボ国民もいるとのこと。

 この国旗に対する意識から、なぜコソボはアルバニアへの併合を望まなかったのか。疑問を持たれる人もいるでしょう。これには、第二次大戦でイタリア降伏後に、コソボ領内がユーゴスラビア勢力に占領されたこと。終戦後アルバニアが、ユーゴスラビアと国交を断絶して近隣諸国から孤立したこと。中国に近づき、一時期宗教を弾圧したことなど、多くの理由が絡んでいます。特に、宗教弾圧はアルバニア国内の文化に大きな影響を与えました。緩いイスラム教徒が多かったアルバニア国民の宗教観は変化し、キリスト教文化への傾倒が急速に進んだのです。今日、海を挟んで隣り合うイタリアに似通った生活様式へ。アルバニアの生活スタイルは変貌しつつあります。そのため、コソボ国内におけるアルバニア民族意識は、アルバニア本国民より強いのかもしれません。

コソボ独立 非承認国

 一方でセルビア側に寄り添うロシアを筆頭に、旧東側諸国はコソボを非承認国として独立を認めていません。また、独立問題を抱える中国やスペインなどの国々も、コソボを非承認国とする立場を取っています。

ロシア

 同じスラヴ民族という理由から、ロシアは常にセルビアを支援しています。歴史上でも、オスマン帝国のヨーロッパ侵攻に対して同じ時期に戦い続けました。旧東側諸国の共産体制が形成する過程でも、セルビアへ大きく影響を与えています。チトーの政策により対立した時期もありますが、ユーゴスラビア崩壊後はセルビアへの後ろ盾を欠かしていません。コソボ独立が国際的に認められないのも、国連でロシアによる拒否権行使が何度も繰り返されているためです。この流れから、旧東側諸国も追従してコソボを未承認国とする動きを取りました。

セルビア

 そもそも、セルビアがコソボ独立を認めないのは、セルビア人にとって聖地があるためです。1389年、セルビアは周辺国と共闘して、侵攻するオスマン帝国と開戦。コソボの戦いで衝突しましたが、大敗を喫します。その後、戦場となったコソボ平原にはアルバニア人が入植し、定住したのです。以来セルビア人は、アルバニア人に奪われた悲劇の地「コソボ平原」を奪還しようとする意識が芽生えました。故に、アルバニア人がコソボを自らの領地と宣言すること自体に嫌悪感を抱くのです。

 加えて、セルビアはコソボだけでなく、領土北部のヴォイヴォディナ自治州にも警戒しています。人口構成ではセルビア人が過半数を占めるヴォイヴォディナ自治州。ですが、かつて紛争で対立したクロアチア人なども一定数暮らしているのです。コソボのアルバニア人ほどの脅威ではないものの、セルビアにとって有事を想定せざるを得ない。ヴォイヴォディナの民族事情は、コソボへの締め付けに拍車をかけている要因とも言えるでしょう。

中国

 言わずもがな多民族国家でありながら、漢民族中心の政権運営をしている中国。ウイグルやチベットの独立問題を刺激しかねないので、当然コソボを承認国としません。さらに、コソボ紛争の際にセルビアの中国大使館は、NATO軍により誤爆されました。中国はコソボ独立の過程で、飛び火を受けているのです。冷戦から続くアメリカとの対立も相まって、中国はコソボを非承認国として見ています。

イラン

 1979年のイラン・イスラーム革命以来、アメリカとの対立を深めてきた中東のイラン。旧東側諸国に近いシリア、イスラム国の脅威にさらされてきたイラクと共に、コソボを非承認国としています。イランは1984年、アメリカよりテロ支援国家に指定され、国交が断絶しています。以来、隣国の戦闘によるアメリカ軍の行動に頭を悩ませてきました。イラン国民の多くは、アメリカに良い印象を持っていません。また、シリアやイラクといった、イランより西方の国々はイスラム国によるテロが頻発しています。その掃討作戦に関わってきたアメリカが認める価値観を否定することは、イランにとっては自然なのでしょう。

スペイン

 カタルーニャ独立問題で注目を集めているスペインも、コソボを承認国としていません。旧西側諸国でコソボ独立に反対する国は少数です。これは、多民族国家であるスペイン独特の国内事情が関連しています。カタルーニャ独立運動に触発され、スペイン領内では、自治州がそれぞれ独立運動を活発化させています。特に、フランスとまたがるバスク州、南部のアンダルシア州は以前より民族意識が根強い地域。2012年のスペイン経済危機などにも不満を持っているこれら自治州は、今後も独立運動を加速させるでしょう。スペイン中央政府としては、国力衰退を容認しかねない動き。コソボ独立の承認は避けたのです。

ブラジル

 南米の国々は、コソボの独立を一歩下がった視点で見ています。直接的な利害関係を持たない国が多いため、コソボの容認には各国で違いがある様ですね。ブラジルはセルビアとの貿易に積極的で、セルビアからの輸入総額は2011年度で約77億円にもなります。また、リオデジャネイロには、両国を橋渡しする商工会議所も設立されました。セルビアの鉱物を輸入する代わりに、ブラジルは自国企業によるインフラ開発をセルビアで進めているのです。そのためブラジルは、国連安保理が正式に承認国としない限り、コソボ独立を認めない立場を取っています。セルビアとの関係強化への配慮として、コソボ独立に難色を示すのは容易に想像できるでしょう。

世界の巨大対立に組み込まれて

 コソボ紛争勃発後、セルビアとコソボの関係は世界的な関心事として注目されています。コソボの独立宣言後、旧西側諸国やコソボとのビジネスを望む国々が、コソボを承認国として認めました。利害関係の少ないオセアニア州各国も、コソボを承認国として容認しています。

 一方、旧東側諸国に加え、セルビアとの関係性を重視する国家。自国内で民族問題を抱える国々は、コソボの存在を忌み嫌っています。コソボ紛争によって、コソボの国際的な存在感は増したと言えるでしょう。しかし、旧東西冷戦時代より続く、巨大な利害対立にも組み込まれてしまいました。コソボが次に悲願とする国連加盟までの道のりは、まだ始まったばかりです。