クロスロード作戦と長門など接収艦の扱い ~水爆実験への出発点~

 水爆はじめ、核兵器を廃棄する。2018年6月12日に行われた米朝首脳会談で北朝鮮は、完全な非核化に合意しました。一方で水爆を最初に生み出し、核開発競争を煽ったのは会談相手のアメリカです。この記事では、二次大戦後初の核実験「クロスロード作戦」にフォーカスを当て。長門など接収軍艦の扱い、その後の水爆実験までの流れに触れます。

クロスロード作戦に至るまで

 核兵器開発は、ユダヤ人科学者のレオ・シラードが1939年。アインシュタインを伝って、アメリカ大統領だったフランクリン・ルーズベルトへ送った一通の手紙から。核兵器の開発支援を願い出たことが始まりと言われています。大戦が激化すると、アメリカ軍は1942年10月に核兵器開発計画「マンハッタン計画」を始動させました。

 そして1945年7月16日、人類史上初の核実験「トリニティ実験」が実施され、成功します。そして、ひと月も経たないうちに広島と長崎に原爆が炸裂。二次大戦は終わりを告げました。ただアメリカ軍としては、広島で落としたウラン型原爆のデータが不足していたこと。ソ連など敵対国家が、核開発へ既に着手していた可能性があった点など。原子爆弾を軍備として正式配備するには、不安要素が多く残っていました。

 同時にアメリカ軍は二次大戦の勝利によって、かつて日本海軍の連合艦隊旗艦だった戦艦長門など。日本やドイツの軍艦を接収しています。特に長門は建造当時、世界最大の戦艦としてアメリカやイギリスが警戒した戦艦として有名でした。加えて、核兵器が軍艦に与える影響は未知数だったこともあり、終戦で剰余となったアメリカ軍の軍艦と共に。空中、水中、そして爆雷で爆発した原子爆弾の影響を調査する実験。「クロスロード作戦」を実行する計画が策定されたのです。

クロスロード作戦の詳細

 総責任者となったウィリアム・ブランディー海軍中将は早速、長門などの標的艦集めや実験場所確保など。クロスロード作戦に向けて動き出します。一方、マンハッタン計画に関わった科学者の多くは、環境汚染や動物実験を強行する方針に反発しました。加えて、二次大戦で功績を残した、数多のアメリカ軍艦を標的艦とすることに。アメリカ国内では根強い反対意見がありました。しかしブランディー中将は、不要な軍艦の解体費削減などを理由にクロスロード作戦の実行へこぎつけたのです。

 実験場所も、日本からアメリカの統治下へ移っていたビキニ環礁に決まり。約42,000人もの関係者が動員される大掛かりな実験となりました。長門をはじめ約70隻の軍艦も既定の爆薬量とヤギなどの実験動物を載せ、クロスロード作戦は実行の日を迎えます。

エイブル(Able)実験

 クロスロード作戦最初の実験は広島と長崎と同じ、空中で炸裂した原爆の威力を測定する。1946年7月1日に行われたエイブル実験です。二次大戦の終戦以来初となる原爆が爆発したニュースは世界へ衝撃を受けました。一方で、期待されていた結果を得られず、アメリカ国内のメディアは一様に実験を悲観して報じています。

 想定では、標的であるアメリカ戦艦ネバダの上空649mで爆発すれば、周辺に配置した艦船9隻は沈没する見込みでした。しかし、風の影響で爆弾が北西へ煽られた結果、沈没は5隻、損傷艦が14隻と振るわない結果に。計測機を積んだ輸送艦ギリアムの真上で爆発。機器が破壊され、爆心付近の実測データも測れませんでした。損傷艦の状況も爆風で影響を受けたものが大半で、航行に問題ない艦船も多くありました。ただ、積載された実験動物うち約6割の個体が実験三ヶ月以内に死亡したこと。広島と長崎と同時に、火災旋風が発生した点から。仮に実験艦船へ人間が搭乗していたら、無事では済まなかったでしょう。

 とはいえ、望んだ結果を計測出来なかったエイブル実験を失敗したと受け止める関係者は多かった様です。長門はじめ、配置された戦艦5隻が全て健在だったことも、大きな要因だったのでしょう。ですが否定的な見方は、クロスロード作戦第2の実験で掻き消えることになります。

ベーカー(Baker)実験

 エイブル実験から3週間と少し経過した1946年7月25日。世界初の水中核実験、ベーカー実験が実施されます。爆弾が固定されていたためか。前回とは違い、10隻もの艦船が実験の半月以内に沈没する記録が残りました。しかし、水中における放射線の影響を十分考慮しなかったため。クロスロード作戦の中止を招く要因ともなりました。

 実験では、標的艦であるLSM-60の信号が爆破直後に途絶。ドーム状の巨大な霧が発生し、周辺の艦船を衝撃波と水圧で押し潰しました。沈没を免れた艦船も、霧や海水に含まれていた放射能の影響で全て被ばくしています。空気中の音速と比べ約5倍の速さを計測した水圧は、後の水爆開発などへ活かされるデータとして。特徴的な「カニフラワー雲」や、発生した津波と共に参考とされた様です。ただ実験後、作業員が被害測定へ向かうも、乗艦して調査できない被ばくレベルに。数週間待って艦内調査する運びとなったことに加え、予想以上に周囲へ環境汚染被害が拡大していました。これらの影響より、クロスロード作戦はチャーリー実験を残し中断となります。

 エイブル実験とは対照的に、その後の水爆開発など。転用可能なデータを収集できたベーカー実験は、多大な労力を伴いながらも一定の成功を収めた。クロスロード作戦最大の実績とも取れるでしょう。反面、実験場となったビキニ環礁の環境汚染は深刻さを極め。元々暮らしていた住民も、ビキニ環礁へ帰れない状況が今も続いています。

3隻の接収軍艦

 クロスロード作戦では、多くの軍属艦船が爆破処分されています。その中には戦利艦として日本からアメリカ軍へ譲渡されていた、戦艦長門、軽巡洋艦酒匂。ドイツから接収された重巡洋艦プリンツ・オイゲンも、標的艦として実験に参加しました。このうち長門とプリンツ・オイゲンはベーカー実験の爆破に耐え、日本とドイツで話題となったそうです。

 酒匂がエイブル実験ですぐに沈没したこともあり、当時の日本メディアは長門をこぞって取り上げました。エイブル実験では予定爆心地近くに配置された長門ですが、爆心地がずれた影響で軽微で済んだそうです。さらにベーカー実験では爆発直後に船体が傾くも、長門は4日間浮き続けていました。敗戦間もない日本にとって、アメリカ艦より持ちこたえた事実は吉報として報じられたようです。長門は優秀な名鑑で、日本の造船技術は高水準だったと。軍国思想が強く根付いていた当時の日本で、長門の存在がいかに神格化されていたか象徴する話と言えるでしょう。

 実際には長門よりも持ちこたえる艦船は、プリンツ・オイゲンを含み数多くありました。耐え抜いた艦船は、汚染がひどいビキニ環礁からクェゼリン環礁へ運ばれ解体。もしくは、ワシントン州の沖合で撃沈処理されています。ただし、プリンツ・オイゲンの様に輸送完了後、すぐ沈没した船もあり。2度の実験で放射能を浴び続けた各艦船は、満身創痍の状態でした。ちなみに、プリンツ・オイゲンのスクリューはドイツ海軍出身者の団体が1979年に買取り。ドイツ本国へ戻って、ラーボエの海軍記念碑近くでモニュメントとなっています。日本の長門と同様に、ドイツでも自国の軍艦に思いふける人々が多くいたのです。

 クロスロード作戦は、戦後不要となったアメリカ船の廃棄が目的の一つでした。ですが、かつて世界最大と言われた戦艦長門など。海外艦船が核兵器で受ける被害を計測することも目的だったのです。結果として、海外艦船は3隻のうち2隻が爆破直後まで耐え、敗色感情を懐く日本人とドイツ人へ。一抹の高揚を与えたのです。

アイビー作戦の水爆実験へ

 軍艦へ与える影響を調査したクロスロード作戦に続き、アメリカ軍は核実験を推し進めます。クロスロード作戦で実験場所となったビキニ環礁は、エニフェトク環礁と共にアメリカ軍太平洋核実験場に。核開発も1951年のグリーンハウス作戦において、水爆の前哨実験が実施されます。敵対するソ連が1949年に初の核実験を成功させ、アメリカ軍は水爆開発を急いでいました。

 そして1952年11月1日、エニフェトク環礁でアメリカ軍は世界初の水爆実験「アイビー作戦」を実行します。水爆を爆発させる「マイク実験」、過去最大の原子爆弾を爆発させる「キング実験」。双方の威力を計測するもので、数多くの新規データが採取されました。マイク実験による水爆では新たな元素、アインスタインニウム、フェルミウムが発見されています。水爆で生じたクレーターも、直径1.9㎞、深さ50メートルとなり、過去例のない規模となりました。また、マイク実験による水爆炸裂で、標的とされた島は跡形もなく消滅しています。人類史上初の水爆実験は、水爆が如何に危険で未知の兵器であるかを証明したのです。

 ただ、マイク実験の水爆には付属機器が多数必要だったので、実戦には使い物になりませんでした。この間にソ連は水爆実験に成功しており、アメリカは焦ります。1954年3月1日にアメリカは「キャッスル作戦」を開始し、「ブラボー実験」をビキニ環礁で実施しました。しかし、爆発した水爆の灰は日本の漁船・第五福竜丸など。多数の民間船へ降り注ぎ、多くの乗組員が被ばくの末、死亡する悲劇が起きました。また、原住民が出産した赤ちゃんが、ジェリーフィッシュベイビーと言われる奇形児で生まれるなど。実質的な人体実験も兼ねている。と、アメリカ軍の水爆実験に世界中から非難が殺到しました。

 ですが、アメリカは水爆実験を止まることはありませんでした。取り扱いに難があった水爆も、1956年の「レッドウイング作戦」の「チェロキー実験」で爆撃機に搭載できるサイズまで小型化。威力を制御しつつ、水爆を爆破することに成功しています。こうした屋外での核実験は、1963年の部分的核禁止条約が締結されるまで続きました。ただし地下での核実験は制限されず、北朝鮮などが水爆実験を繰り返す遠因を作るなど。核不拡散の機運が高まった近年でも、水爆実験を強行する国家を生み出す素地となったのです。

クロスロード作戦と長門と水爆開発

 マンハッタン計画によって開発され、日本が二次大戦に降伏するキッカケとなった原子爆弾。その後軍縮が進められる過程で、艦船の廃棄方法としてクロスロード作戦は発案されました。旧来の軍国主義の象徴であった長門が、新たな軍国主義の象徴である原爆によって消される。水爆開発の出発点となるクロスロード作戦は、時代の流れを表す実験だったと言えるでしょう。しかし、第五福竜丸の被ばく事故、ジェリーフィッシュベイビーの出産問題など。水爆が人体へ有害であることを示されても、東西冷戦下では開発か進められていきました。

 そして核兵器は、国家権力を保つための抑止力として機能する世界となりました。北朝鮮は水爆などの放棄に合意しましたが、廃棄が実施されるか不透明に捉えられています。核開発を推し進めてきた小国にとって、政治交渉カードを捨てられるか。水爆を世に生み出した大国の手腕が試されようとしています。