ゲリラ組織の武装解除進むコロンビアの治安事情

 決戦投票に突入していたコロンビア大統領選挙が2018年6月17日。コロンビア全土で実施され、中央民主党のイバン・ドゥケが歴代最年少で当選しました。与党だった国民統一社会党(U党)のゲリラ武装解除方針を非難し、多くの支持を集めて勝利した訳ですが。そもそもコロンビア国民がゲリラ組織に対し、嫌悪感を懐くのはなぜでしょう。

コロンビアの議院内閣制度

コロンビアの議会選挙

 コロンビアの議院内閣制度に触れる機会は多くは無いと思うので、先に触れておきましょう。コロンビア議会は元老院(定数102)、代議院(定数166)の二院制で、両院とも任期は4年。議会選挙は大統領選挙の2ヶ月半前に、拘束名簿式比例代表制によって選挙が実施されます。つまり有権者は、政党名を投票して。各政党が事前に提出した名簿で上位の候補から、票数の比率を踏まえて当落を決定します。また、少数コミュニティ、海外に住むコロンビア人の為に特別な議席が設けられているのも特徴でしょう。2018年3月の選挙では、国内最大のゲリラ組織だったコロンビア革命軍(FARC)が合法政党となり。選挙へ挑むも当選者が出ず、コロンビア世論が反映された結果に注目が集まりました。

 自由党と保守党の国民協定による枠組み政治によって。コロンビア政界は長年、知識層による排外的な政治運営が行われてきました。これに不満を持った人々が、共産系のゲリラ武装組織となり。テロを頻発させる悪循環が続き、国内治安は悪化の一途をたどっていました。2002年に誕生したウリベ政権、続くサントス政権により。多党化の促進、武力介入によるゲリラ武装解除など。改革は進められていますが、依然としてゲリラ組織対策はコロンビアを悩ませる最大の社会問題なのです。

コロンビアの内閣制度

 続いて、コロンビアの内閣制度にも触れておきましょう。国家元首の大統領は、国民投票による選挙で選ばれます。票の過半数を獲得した候補が当選する仕組みで、全立候補者を対象とした選挙で決着がつかない場合。得票数上位2名による決選投票によって、新大統領が決まります。議会と同じく任期は4年ですが、再選は認められていません。ただし、2004年から2015年まで。二大政党体制が崩壊した後の混乱を考慮し、ウリベ元大統領が主導となって再選制度が敷かれました。ウリベ政権以前は自由党か保守党、どちらかの党が政権を担い。大臣も与党から選ばれていました。ですが近年は二大政党に加え、少数政党からも大臣を選ぶ方法が取られています。

 これは、二大政党が交互に政権を担う国民協定によって、国民の参政意識が薄れたこと。FARCをはじめとするゲリラ組織を生み出し、武装解除闘争を助長したことなど。過去の反省から導入されたもの。ウリベ元大統領が結党したコロンビア第一、U党によって推し進められたものです。国民の信頼を回復し、全ゲリラの武装解除の実現を目指して。コロンビア政界は21世紀に入り、転換点を迎えているのです。

コロンビアゲリラ誕生の経緯

 一概にゲリラ組織と言っても、主義思想は各ゲリラによって大きく異なります。自由党と保守党の国民協定による排他政治の反動で誕生した組織。警察や国軍が当てにならないため、組織された武装自警団など。麻薬商売で組織運営している点では共通していますが、ゲリラ同士で対立している場合もあります。ただ、最大勢力のFARCが武装解除に応じて、ゲリラ闘争が停滞しているのは明らか。ですが、すでに築かれた組織基盤を守ろうと、戦闘を続ける組織も見受けられます。コロンビアの代表的なゲリラ組織を説明します。

コロンビア革命軍(FARC)

 コロンビア共産党の軍事部門として、1964年に結成された社会主義を掲げるゲリラ組織でした。2017年に国連監視団立ち合いの基、コロンビア政府との和平調停に基づき。合法政党、人民革命代替勢力(略称は同じくFARC)に組織が組み替えられるまで。コロンビア最大のゲリラ集団として、国民から畏怖されてきました。そして、コロンビア国民に最も疎まれているゲリラ組織でもあります。

 源流は40~50年代、共産主義に影響を受けた農民を中心に武装ゲリラが各地で結成されたのが始まりと言われています。その一つで、首都ボゴタの南西に位置するトリマ県で組織されたマルケタリア独立共和国の指導者。マヌエル・マルランダが中心となり1966年にFARCを結成し、南米最強のゲリラ組織と謳われるまで勢力を伸ばしました。はじめは1,000人前後だった戦力も、最盛期の00年代には18,000人規模に膨れ上がっています。これは、国民協定という枠組み政治への不満や、中央政府の手が及ばない地方の治安問題など。コロンビアの抱えていた社会問題が色濃く。如実に反映されているものでした。

 政治的な要人誘拐や、軍や警察施設への直接攻撃など。武装解除に応じる以前は、排他的な政治体制へ打撃を与えることを目的にゲリラ活動をしていました。活動資金源も、誘拐した人質に対する身代金要求だけでなく、コカインなどの麻薬製造販売も柱にしており。治安悪化を助長する巨大ゲリラながらも、貧困層の雇用を生み出す組織として。社会に根付いていました。そのため1984年にコロンビア政府と停戦合意に至り、一部が武装解除して愛国連合(UP)を結成しました。ですが、右翼勢力に3500人もの党員が虐殺される事態となり、再び武装化する道を選んだため。コロンビア政府は1999年に実質FARCによって統制される非武装地帯を設けました。これがFARCの勢いを蘇らせることになり、再びコロンビア軍との激しい戦闘を呼び寄せたのです。

 ウリベ元大統領が政権を握ると、中央政府は徹底抗戦の方針を掲げて陸軍を増強。非武装地帯も無効化され、18,000人いたFARCの戦力が半分を割るまでに減少しました。指導者のマルランダが2008年に病死しただけでなく。幹部も相次いで死亡し、2012年には身代金要求を行わないことを宣言するまでに軍事力も弱体化しました。その後は国連の監視下、コロンビア政府との和平合意と武装解除が進められ、合法政党として再スタートしたのです。

民族解放軍(ELN)

 共産思想に感化された都市部の知識人や中間層が、結託して組織化されたのが民族解放軍(ELN)です。こちらはFARCとは違い、キューバに出向いてゲリラ戦術を学んだ。サンタンデール県の大学生グループが発展。一般コロンビア人だけでなく、スペイン人や富裕層出身のカトリック神父もELNに参加するなど。地方の貧困層出身者が多いFARCとは対照的なメンバー構成となっています。

 主だった軍事作戦も、アメリカ資本で作られたコロンビアの石油産業施設を攻撃対象としていました。単に政府の公共機関を攻撃する訳ではなく、民間企業から資金を恐喝して奪い。コロンビア政府へ間接的な経済損失を与える手法で、FARCに次ぐコロンビア第2のゲリラとして頭角を現しました。00年代には6,000人前後もの構成員を抱えていましたが、ウリベ政権の戦闘介入。加えて、コロンビア自警軍連合(AUC)の襲撃対象とされ、2010年には2,500人にまで構成員が減少しました。

 ELNも弱体化が甚だしく、2017年からコロンビア政府との和平交渉を開始し、停戦期間も設けられました。しかし、政府と歩み寄る姿勢に反感を持ったコロンビア人民解放軍(EPL)がELNへ宣戦布告。武装解除に向けた交渉によって、新たな火種がくすぶり始めています。

コロンビア人民解放軍(EPL)

 毛沢東主義を掲げ、中国軍の正式名称と同じく人民解放軍の名で活動しているのがコロンビア人民解放軍(EPL)です。1967年にペドロ・レオン・アルホレーダ達によって創設され、大規模農園や石油施設の破壊など。ELNと同様の手法で、コロンビアでもアンティオキア県周辺の北部で発展したゲリラです。組織基盤がFRACやELNより弱いこともあり、1991年には早々に武装解除へ応じています。

 ただし、他のゲリラ組織が健在の時期に武装解除へ踏み切った反動で、ごく一部の構成員は戦闘を続行。コロンビア自警軍連合(AUC)ほか右翼勢力の攻撃目標となりつつも、細々と政府への反抗活動を続けています。武装解除へ進むELNに対して宣戦布告するなど。左翼ゲリラ闘争の終焉を何よりも恐れており、政府への強硬姿勢を崩していません。

4月19日運動(M-19)

 共産主義を活動の是にしているゲリラ組織だけでなく、選挙運動がゲリラ化した組織も存在します。1970年大統領選挙の不正疑惑を発端に。親アメリカの政治方針に反発する人々が結成した4月19日運動(M-19)は、その代表的な組織と言えるでしょう。政府系の行政機関をターゲットに、大使館や最高裁判所襲撃など。度々、世間を大きく震撼させる手法でテロを繰り返してきました。

 特に最高裁判所襲撃事件では、占拠したゲリラだけでなく。最高裁の判事、弁護士、職員なども犠牲となりました。同時に、戦車を導入して最高裁の建物を炎上させる政府の弾圧手法に。世界から非難が殺到したと言います。その後、M-19の弱体化は明白となり、政府と和平交渉の末。1989年に武装解除し、翌年には合法政党の4月19日運動民主同盟として。選挙へ参加しています。

コロンビア自警軍連合(AUC)

 長年、ゲリラ組織によって国土が荒らされてきたコロンビア。その被害を最も受けているのは、紛れもなく地方に住まう人々です。特に、政府の軍や警察による統制が期待できない地域では、実業家が農園を守るため傭兵を雇うなど。自衛対策に重きが置かれ、パラミリターレスという自衛組織が誕生します。そして、各パラミリターレス間で統廃合が進んだ結果。全国的な組織、コロンビア自警軍連合(AUC)が誕生しました。

 イスラエルで訓練を受け、伝説的な傭兵として名をはせたカルロス・カスターニョが中心となって。1997年に創設された後、急速に勢力を拡大していき。7年後の2004年には、構成員数が約2万人に達する。一大パラミリターレスを形成しました。これは、FRACやELNに身内を殺され、復讐に燃える人々がAUCに続々と参加したこと。潤沢な資産家達による運営体制へ魅力を感じ、貧民層の若者が優良就職先として検討したことなど。社会不安を助長するゲリラを掃討したい。地方の農村民による、自然な動きとも取れるでしょう。

 しかし実態は、麻薬取引で稼いだ資金が運営に充てられていたこと。加えて、麻薬で稼いだ資金で土地を購入し、転売する。マネーロンダリングに手を付けている支援者も多く。健全な組織とは言えませんでした。また、一般人に対する拉致、強姦、略奪、殺人など。ゲリラ組織とは関係ない人々にも危害を加えており、国連やアメリカCIAから人権侵害の疑いがあると。厳しく非難されています。

 とは言え、ゲリラ殲滅という分かりやすい大義名分は、貧民層に広く共有されました。武力による武装解除を狙ったウリベ政権も、AUCに対しては物腰が柔らかく。2003年にAUCとの武装解除に向けた交渉を始め。合意に至りましたが、構成員の犯した罪を基本的に無罪とする方針に国民から反発が相次ぎ。2006年には、和平プロセスの厳罰化を余儀なくされています。

 以後、組織としてAUCは武装解除の末に解体されました。ですが、恩赦を受けた元メンバーが、再び反ゲリラ組織を結成するなど。政府の甘い罰則によって生み出された歪みは、新たな戦闘を助長しているのです。

ウリベ政権のゲリラ掃討作戦

 様々な背景によって生まれたゲリラ組織は、コロンビアの治安を著しく低下させ、国内に麻薬産業を定着させるなど。ゲリラ組織による横暴によって、被害に遭う国民は嘆き続けていました。コロンビア第一、U党、中央民主党の創設者であるウリベ元大統領もその一人で、父親がFARCに誘拐の末、殺害された過去を持ちます。

 ウリベは元々自由党の議員ですが、貧困層向けの住宅支援策を麻薬組織と協力関係を築いて事業化するなど。世間から悪行と言われても、貧困層の救済に尽力してきました。社会の現状を鑑みて動く姿勢を認める人々も多く、メデジン市長、アンティオキア県知事など。地方行政で実績を積み、保守党の分裂が進んだ2002年。自由党からではなく、独自政党・コロンビア第一を結党して大統領へ就任しました。

 その頃コロンビアでは、前政権より「プラン・コロンビア」というアメリカとの共同政策が推し進められていました。ゲリラの殲滅や武装解除を念頭に、軍事作戦が実施されていたのです。ウリベが大統領に就任すると「プラン・パトリオッタ」を策定し、より強硬なゲリラ掃討策に舵を切りました。一方で戦闘により荒廃した地域には、健全な農作物栽培が根付くよう支援する。軍事力を背景とした、飴と鞭に例えられる国土再生計画を実行したのです。

 コロンビア第一が発展的に解体され、U党が成立した2006年頃には。ウリベが推し進めてきた政策の効果がハッキリと現れ始めており、政権支持率も80%以上に達する時期もありました。弱体化したゲリラは最後の抵抗として、大統領経験者を拉致するなど。大胆な誘拐を実行に移しましたが、アメリカ軍の支援により強化されたコロンビア軍に前に沈黙。武装解除を念頭とした交渉に入らざるを得なくなりました。

 そのため、ウリベから政権を引き継いだサントス元大統領は、政策方針を和平路線に切り替えます。大統領再選の禁止規定が一時停止されたことも相まって、武装解除交渉は進み。2017年6月、コロンビア最大のゲリラ組織だったFARCの武装解除が実現したのです。しかし、和平が進んでいく過程で組織化されたゲリラが新たな社会問題となっていました。サントス政権の方針に懸念を懐いたウリベは、U党を離脱。中央民主党を新たに結党し、イバン・ドゥケを大統領候補として。勃興したゲリラへの弾圧を表明したのです。サントス元大統領は首都ボゴタ市長を務めた。和平推進派のペドロを大統領候補に据えるも、ゲリラ組織に対する国民感情は冷たく。決戦投票ではドゥケに支持が集まり、ウリベ陣営が勝利したのです。

 ウリベは政治家として、一貫してゲリラ殲滅を是にしてきました。同時に、サントスを筆頭とするU党の和平推進派によって、ゲリラの武装解除が滞りなく進められていったのも事実です。親をゲリラに殺害されたウリベにとって。過度に和平を進めたサントス政権の方針は、許容できる範囲を超えていたのかもしれません。

ゲリラ組織が残した傷

 組織化された背景に違いはあれど、コロンビアのゲリラ組織は国民協定による排外政治の反動によって。言論統制によって誕生した組織だと、ご理解できたと思います。そして、ゲリラによる数々の違法行為は、コロンビア社会へ暗い影を落としました。復讐心を持ったウリベという政治家を生み出し、粛清されたとも取れるかもしれません。

 ゲリラ殲滅を主張するウリベ陣営の候補が当選したことは、和平交渉の方針にも影響を与えるでしょう。ゲリラが武装解除したとしても、コロンビア国民がゲリラによって傷つけられた心の傷は癒えないのです。