済州島へ流入したイエメン難民の処遇で割れる韓国世論

 ビザ無し渡航が認められている済州島へイエメン難民の流入が続いた状況に韓国世論が賛否両論分かれています。マレーシアを経由して済州島へたどり着。既に就労しているイエメン難民もいるため彼らを支援する人々、犯罪を懸念する人々が互いに市民団体を立ち上げるだけでなく、済州行政府と中央政府の対立も鮮明になりつつあります。

イエメン内戦の難民

 「心の国境に遮られる2015年イエメン内戦の和平交渉」で歴史を辿った様に、イエメンでは長く北部のシーア派勢力と南部のスンニ派勢力がオスマン帝国とイギリスの利権に絡んで対立してきました。20世紀に入って民主化運動やテロ行為により王家が打倒されて南北それぞれで独立が達成されたものの、内戦が何度も繰り返されて両国共に国力は次第に衰えていきました。

 南側の財政破綻で1990年に南北統一が実現してもシーア派住民とスンニ派住民とのいがみ合いは収まらず、反アメリカを掲げる北部のシーア派思想集団・フーシ運動が政府との実質的な内戦に勝利して自治権を拡大していきました。さらに、2011年イエメン騒乱によってサーレハ独裁政権が崩壊してスンニ派に距離が近いハーディー政権が誕生したため政界のバランスが崩れ、同時にフーシへの支持は加速度的に広まりまった結果。2015年にフーシが大統領府を占拠してハーディー政権が瓦解させるクーデターが発生して2015年イエメン内戦が開戦したのです。

 ただし長年、統治システムの独裁が続いてきたイエメンでは一般市民の声が政治家へ届きづらく内戦が開戦したことで、貧困に追い込まれてきた多くの罪なき国民は異議を唱えることさえ叶わず戦闘、飢餓、細菌感染によって犠牲となりました。加えて、隣国のジブチやエチオピアへ流れるイエメン難民は開戦以来止まることなく受入れ先となる難民キャンプの環境も日々悪化し続けています。そのため、生活環境の整った地へ逃れようと成長著しいイスラム国家。マレーシアへの渡航が増えましたが在留期間の短さがネックとなった末、韓国の済州島へ移動するイエメン難民が現れはじめたのです。

済州島に難民が流れる理由

 流転する歴史によって貧しい生活を余儀なくされただけでなく政治家と思想集団との抗争で住む場所すら追われたイエメン難民達ですが、なぜ遠く離れた韓国の済州島へ押し寄せているのでしょう。イエメンと韓国との距離を考えれば欧州圏へ亡命する方が経済的負担は少なく済むはずですが、厳格なイスラム国家で生きてきた難民にとって、ヨーロッパへ逃れることが最適解でない。不適当な行為だと捉える傾向を抑えればマレーシアを経由して韓国へ逃亡する理由も見えてきます。

キリスト教とユダヤ教への憎悪

 韓国にイエメン難民が行き着く主な要因として、キリスト教やユダヤ教の信者が住まう欧米圏にイエメン難民が良い心象を持ち合わせていない点が挙げられます。イエメンの南北統一が実現してから間もなく、キリスト教国家を中心とする欧米各国は政治的に北イエメンと近しかったイランのクウェート侵攻に異議を唱えて湾岸戦争を引き起こしました。

 その際、出稼ぎ労働者としてサウジアラビアなど近隣諸国で働いていたイエメン人は戦争の煽りを受けて職を失い、イエメン経済の地盤沈下が大きく進んだのです。これは北側に住むシーア派住民だけでなく南側に住むスンニ派の住民も同じように影響を受けたため、国民の多くが貧困へ陥る要因を欧米=キリスト社会が作り出したと根深い恨みを持つイエメン難民は少なくないのです。他にもシリア危機以来沸き上がっている欧米圏のイスラム難民排斥運動への警戒感も併せ、欧米で難民申請しようと行動するイエメン難民は少数に留まっています。

 聖地エルサレムからイスラム教徒を排他したユダヤ教徒に対してもイエメン難民は恨みを持っています。第二次大戦以後にキリスト教を重んじる国連主要国の方針でイスラエルが誕生。長く迫害を受けてきたユダヤ人を移住させて定住していたイスラム教徒の多くをエルサレム中心地から追い出しました。今日でも、イスラム教徒はイスラエル内2カ所のパレスチナ自治区で内政を認められていますが日々迫害を受け、時に戦闘を引き起こしながら生活しています。さらに、トランプ大統領が就任してからアメリカのユダヤ人偏重政策は甚だしく、イエメン難民は世界最大の移民国家へ逃れる選択をしないのです。

難民に思いやりなきマレーシア

 イエメンに損害を与えたキリスト教やユダヤ教社会でない生活環境が整った国へ逃れたいと考えれば、自ずと選択肢は狭まります。そこで注目されたのがイスラム教を国教としてビザなし入国が可能なマレーシアでした。

 マレーシアでは2010年代に入って隣国ミャンマーからのロヒンギャ難民流入が増加したため、次第に難民を支援する民間組織が結成されて難民の中継地として機能しています。ただし、マレーシア政府は難民を不法滞在者として敵視する傾向が強く、例え難民と認められたとしても社会からは冷ややかな目線で差別視される。居心地の悪い状況が続いています。それにマレーシアの難民法では申請に必要な資料が揃えられない場合は5年以下の禁錮刑と6回以下のむち打ち刑を科すことが明記されており、とても安住の地とは言えません。

 同じムスリム難民に対しても冷遇するマレーシアに留まり続けるのは得策ではない。辛くもたどり着いた地で待ち受けていた現実に焦りを覚えたイエメン難民の様相は想像に難しくありません。ですが2017年12月に苦悩を払拭する可能性を秘めた交通手段の登場で韓国。もとい、済州島へ移動するイエメン難民は急増したのです。

済州島の難民対応

 マレーシアの格安航空会社(LCC)エア・アジアは2017年12月。クアラルンプール~済州島間に週4往復の直行便運航を開始しました。韓国政府が観光地としてビザ無し入国を許可している済州島は東南アジア諸国では人気観光地のため、エア・アジアは観光需要を見越して済州島直行便を就航させたのです。しかし、場合によっては2万円以下で済州島へ飛べる交通機関の誕生はイエメン難民を韓国へ誘う大きなファクターとなりました。

 国連の難民条約に1992年批准した後。国内でも独自の難民保護法を2013年に施行させるなどアジア諸国の中ではいち早く難民対応の取り決めを策定した韓国ですが、これは将来押し寄せるであろう北朝鮮難民を念頭に置いた側面が強くありました。そもそも、遠く離れた異国から来訪するムスリムを念頭に置いたものではありません。さらにビザ無しで済州島への入島を認めているのは観光産業による外貨収益獲得が目的のため、決して難民を済州島へ流し込むために認めている特異な入国管理体制ではないのです。しかし現状、南北融和ムードが盛り上がって中国からの経済制裁で済州島を訪れる観光客は激減しているため、難民法も、済州島のビザ無し入国体制も、本来の狙いとしていた場面で機能しなっていました。

 そして観光客に代わって済州島へ入島してきたのは10~20代の若い男性イエメン難民です。彼らの多くはフーシ軍の勧誘から逃れるためいち早くイエメンを発ち、職を求めて済州島へ入国してきた言わば移民とも言える難民でした。そのため韓国政府も、本来は半年設けられる難民の就労制限をイエメン難民に対してのみ指定職種に限って制限対象外として認め、後継者不足で悩んでいた済州島の漁師など第一次産業へ就労させる動きを後押しました。さらに、済州島に流れ着くイエメン難民を支援する全国組織「済州難民人権のための凡島委員会」が結成されると、韓国の社会保障から除外されるイエメン難民たちを支えようとする動きは済州島だけでなく、キリスト教カトリック筆頭のローマ法王・フランシスコも自費で支援金を寄付するなど世界的な関心事となったのです。

遠く流れてきた難民に冷たい韓国社会

 キリスト社会やユダヤ社会から庇護を受けず、マレーシアの不安定な生活から逃れた先にビザ無しで入国が認められている場所を探したイエメン難民は済州島に行き着き、地元水産業の後継者不足を解決する労働力として働いています。嫌悪の対象だったはずのカトリック団体からの支援も広がりはじめました。しかし、韓国が朝鮮民族によって建国された史実を重んじる済州島以外に住まう韓国人の多くはイエメン難民を冷たい視線で見つめています。

 それは済州島内も例外ではなくイエメン難民の流入が増えるにつれ、過剰保護だと訴える市民団体「済州難民対策道民連帯」が音頭を執って済州島内に住む反対派島民の支持を集めています。反対の立場を取る島民達はヨーロッパ圏で多発しているイスラム難民による犯罪が済州島でも発生すると危惧し、難民保護法の基でイエメン難民が手厚い支援金を受給している現状に不快感を抱いているのです。受入れ反対の声はソウルにも伝播しておりイエメン難民排斥を訴えるデモが実施された他、文在寅政権に向けた済州島のビザ無し入国制度の見直しを求める嘆願書への署名が50万人分を超えるなど。イスラム教徒への差別心を煽る情報拡散も相まってイエメン難民を取り巻く環境は次第に悪化しました。

 そのため韓国政府も重い腰を動かざるを得なくなります。2018年4月30日に韓国法務省はイエメン難民を済州島以外に移動させないため出島制限措置を実施したことを皮切りに、6月1日からはイエメン国籍を持つ全ての人々に済州島へのビザ無し入島を禁止しました。これに済州島の地方行政を担う済州特別自治道は不快感を示して韓国全土の問題ではなく、済州島のみで解決するべき問題にすり替えていると政府の対応を非難しました。人道的見地からイエメン難民を守りたい済州行政府。済州島から本土へのイエメン難民流入を危惧する中央政府。双方の対立構図は明確となった韓国のイエメン難民問題はさながら、沖縄と日本政府の基地負担問題と近しい様相を呈しているのです。

行き場なき人に救いの手を

 中央政府だけでなく地元の一部住民からもイエメン難民の支援姿勢を非難されている済州特別自治道ですが、行政府が一貫して難民を守ろうとしているのは歴史に紐づけられた大きな理由があります。李氏朝鮮時代、済州島は政治犯や汚職官僚が閉じ込められる流刑地として、犯罪者となった知識層の生活を支えてきました。二次大戦後も南北分割に反対する島民が大量虐殺された悲劇の地となり多くの済州島民が故郷を離れています。これらの教訓から、済州島では行き場を失った人々を受け入れようとする韓国本土とは異なる文化が培われてきたのです。

 一方で朝鮮半島に住まう韓国人達はモンゴル民族や日本人など、過去に領土を蹂躙された歴史が尾を引いているため他所の民族が流入する動きに警戒感を抱く人々が大多数を占めています。しかし、国際的人道支援の観点からすれば韓国政府の対応は褒められるものではありません。土台、経済を外貨収入に依存している韓国経済の事情を考えれば国のマイナス評価につながりかねないリスクある難民政策は慎むべきでしょうし、朝鮮半島の韓国人も国際感覚に合わせた寛容な姿勢で難民問題を見つめなくてはいけません。