国名変更選挙から読むマケドニアとギリシャの因縁

 ギリシャから求められていた国名変更の是非と問う。マケドニアの国民投票が実施されるも、賛成派と反対派の双方が選挙の勝利宣言をする。異例の状況となっています。予てからギリシャは、伝統的なマケドニア地方の半分以上を自国領としているため。マケドニアがユーゴスラビアから独立して以来、国名の変更を求めていました。

古代マケドニア王国の威光

 国名を巡る論争が続いているのは、両国が古代マケドニア王国の領土を重要視しているためです。紀元前7世紀~紀元前2世紀に繁栄した古代マケドニア王国は、紀元前4世紀には世界帝国として広大な領土を抱える一大国家でした。しかし、最盛期の国家元首アレキサンダー3世が死亡すると。古代マケドニアは分裂の末にローマ帝国領となり、以後は周辺国家の栄枯盛衰によって領主が度々変わりました。

 オスマン帝国によってバルカン半島が治められた時期には、元々マケドニア人だった人々がギリシャ人として目覚め。周辺国から流入してきた混在する人種が、新生マケドニア人としての自覚を持つことになりました。つまり、マケドニア人としてのアイデンティティを引き継いでいると考える。2つの民族が現れることになったのです。バルカン半島でオスマン帝国の支配体制が揺らぎ始めた19世紀頃に入ると。周辺国と絡んで問題は顕在化し、ギリシャ、ブルガリア、セルビアがマケドニア地方を巡り対立。2度のバルカン戦争を経てマケドニアは3ヵ国に分割され、現在の国境が確定しました。

 その後セルビアに併合された地域は、ユーゴスラビア連邦体制下でマケドニア社会主義共和国を建国。血筋的な繋がりを自負する、ギリシャ政府の琴線に触れることになります。ユーゴスラビアが崩壊して1991年にマケドニア共和国が独立を果たした折に、ギリシャは早々に国名変更を求め。憲法条文と国旗を改めるまで、ギリシャは経済制裁をマケドニア共和国へ実施しました。

EUとNATOの加盟条件として

 ユーゴスラビアから独立したものの。ギリシャに住むマケドニア人を共和国民として許容しているとも読める憲法。古代マケドニアを象徴するヴェルギナの太陽をあしらう国旗など。ギリシャは自国文化の根源を侵害されていると捉えたため。独立間もない共和国を締め付ける態度を執ったのです。特段ギリシャにとって、国名にマケドニアを掲げる行為は容認し難く。共和国もバルカン半島の紛争が相次いだ時期だけに。暫定的な正式国名を「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」に変え、穏便に事を収めようとしました。

 しかしギリシャは、共和国が1993年4月に国連へ加盟してからも前出の経済制裁など。執拗な追い打ちをかけ、続く共和国の国際機関加盟にも待ったをかけます。その主たる例が、未だ実現していない。共和国のEUとNATOへの加盟です。2005年に共和国はEU加盟候補国に挙げられるも、国名問題が解決されていないと判断された末。2008年に加盟手続きを見送られます。また、同じ年にはルーマニアにて、クロアチア、アルバニアと共にNATOへの加盟が議論されたものの。暫定的な国名を掲げたままだとするギリシャの反発から、こちらも実現しませんでした。

 立て続けに国名がネックとなって国際機関に加入できない事態に。共和国は国際司法裁判所へマケドニアの呼称に関して訴えますが、ギリシャが応じなかったため。マケドニア共和国の国際的な立場は脆弱なまま改善されてこなかったのです。

マケドニア抗議から国名変更合意へ

 事あるごとにギリシャからの圧力によって、国際社会への進出を阻まれているマケドニア共和国ですが。政権を握る右派政党、内部マケドニア革命組織・マケドニア国家統一民主党(VMRO-DPMNE)はマケドニアの国名を変えない考えを誇示したため。次第に国内からは、アイデンティティに基づいた政策ではなく。他に優先するべき課題が疎かになっているとの認識が共有されます。

 事実、ギリシャやドイツへの出稼ぎ労働者頼みの経済。国民の2割以上を占めアルバニア人に対する冷遇。進む権力腐敗など、VMRO-DPMNEに失望する国民は少なくなかったのです。そうした不満を吸収したのが、左派政党のマケドニア社会民主同盟(SDSM)でした。党首ゾラン・ザエフは、国名が足かせとなり一向に進まない。国際社会との連携を強行して進め、経済発展を実現する方針を固めます。

 加えて、長いVMRO-DPMNE による政権支配が、警察や官僚の癒着を生み出していたため。野党勢力は政府関係者の盗聴記録を開示したことを皮切りとして。支持者達と共に2015年から翌2016年まで、カラフル革命とも呼ばれる政権退陣抗議を展開します。その後、国会総選挙や組閣で流血沙汰を引き起こしつつ。VMRO-DPMNEが容認しない、アルバニア人政党とSDSMによるザエフ連立政権が発足しました。国名問題はマケドニア共和国内の多様性を抑圧する遠因ともなっていたのです。

 最初の抗議から2年の歳月をかけて発足したザエフ政権は早速、国名問題の解決に乗り出します。民族的アイデンティティを共有するブルガリアとの関係強化を早々と済ませ。ギリシャとの協議に取り掛かると、2018年6月12日に共和国とギリシャ国境の上にあるプレスパ湖にて。国名を北マケドニアに変更することを盛り込んだ。プレスパ合意を成立させました。四半世紀近く続いた国名論争の進展は、ロシアのバルカン半島への影響力を懸念する。EUやNATO諸国の間で吉報として伝えられたのです。

芳しくない国名変更を問う選挙

SDSMのゾラン・ザエフ党首
※Wikipediaより

 ギリシャとのプレスパ合意に基づき。ザエフ政権は国名変更の是非を問う選挙を2018年9月30日に実施する運びとしました。EUやNATO諸国の重鎮がマケドニア共和国入りして、賛成票を投じる呼びかけをする一方。VMRO-DPMNEを支持するマケドニア国粋主義者達によって、選挙のボイコット運動が展開されるなど。国名という看板を挿げ替える国家の一大事にマケドニア共和国内では混乱が広がります。

 そしてふたを開けてみると、得票率36.91%のうち賛成が91.46%を占める。何とも言い難い選挙結果となりました。ザエフ政権側は国民の民意が示されたとして、国会への決議に持ち込む意思を明確に示すものの。VMRO-DPMNE側も、選挙に票を投じなかった行為そのものが国名変更に対する反対の表れだと発言。両陣営が選挙の勝利宣言をする事態となりました。とは言え、投票率が半分以下となった選挙はマケドニア共和国憲法が定めるところ。法的拘束力を有しないため、結果を参考扱いにしかできないザエフ政権側からすると大きな痛手です。

 国会審議に入れば、VMRO-DPMNEなど右翼政党から。選挙結果を理由に抵抗が強まることは火を見るよりも明らかです。再び流血を伴う混乱が起こらないか。プレスパ合意の相手ギリシャ含め、EUやNATOの加盟各国は不安視しつつ見守っています。

国名変更で浮き上がる懸念

 賛成票が9割を超えた選挙結果を根拠に、今後ザエフ政権は早期の国名論争解決へ突き進んでいくでしょう。ただ国会議席120のうち、連立与党が握っているのは62議席に過ぎず。与党寄りの5議席を含めても、国名変更を含む憲法改正に必要な賛成数2/3に達しません。加えて、頑として反対姿勢を崩さず。場合によっては、残虐な手段も持さないVMRO-DPMNEなどの右翼勢力とまともな議論ができるのか。ザエフ政権の真の力量がこれから試されるのです。

 それに、EUやNATO諸国が国名変更を支持しているのは、マケドニアの国名論争を解決するためだけでなく。VMRO-DPMNEが親ロシア姿勢を執ってきたこと。アメリカ大統領選に絡むフェイクニュースがマケドニアで量産されたことなど。旧西側諸国の関係を揺るがしかねない。危険なマケドニア地域としての警戒感から、EUもNATOも国名変更を推奨しているのです。マケドニアの国名論争は共和国とギリシャ間だけの問題ではないのです。