タイ国会総選挙を順延させてきた軍政の思惑

 軍事クーデターから民政移管を目指すタクシン派政党のタイ国家維持党は2019年2月8日。元王族でワチラロンコン国王の姉、ウボンラット王女を党首候補として選挙管理委員会に提出したため論争が巻き起こりました。翌日には立候補が取り消されたものの、タイで繰り返されてきたクーデターや暴動の経緯を知れば王女が政党党首として選挙に擁立された事情も見えてきます。

嫌悪感払拭を狙った王女擁立

元王族のウボンラット王女
※Wikipediaより

 ウボンラット王女を党首候補として立候補させたタイ国家維持党は亡命生活を余儀なくされているタクシン・チナワット元首相を支持する政党です。タクシン元首相は貧困層を中心に結成されている支持組織・反独裁民衆戦線(UDD)の根強い基盤を持ちますが、自ら不正問題を発端として軍事クーデターを招いたことを大罪に問われておりタイ国内へ入国することができません。

 さらに、タクシン元首相が引き起こした政治混乱は後述するタクシン派と反タクシン派の政治対立を深刻化させ、2014年の軍事クーデターによって強権色の強い国家平和秩序評議会(NCPO)による軍事政権を生み出しました。国民が望んだ国民議会の総選挙実施もNCPOによって幾度となく順延され、選挙日程が2019年3月24日に確定されても国民は一抹の不安を懐いて選挙戦を迎えているのです。そのため、2014年クーデター以前は与党だったタクシン派筆頭のタイ貢献党の分党であるタイ国家維持党は国民からの信頼が厚く、元王族のウボンラット王女を総選挙の党首候補に据えてタクシン派政党に蔓延る悪いイメージを払拭させようと狙ったのです。

 しかしながらタイ国民にとって王室は神聖な崇拝対象であり、政治権力を監視する象徴として王族出身者が特定政党に加担するのは好ましくないと主張したワチラロンコン国王によって、ウボンラット王女の党首推薦は取り下げを余儀なくされました。総選挙の選挙管理委員会もウボンラット王女の擁立は国家転覆罪に当たると判断され、一転してタイ国家維持党は解党を要請される事態に発展しています。

タクシン派を巡る政局混乱

 タイ国民が崇拝している王族だったウボンラット王女を党首候補に推薦する不意を突いた選挙戦略を取ったタイ国家維持党ですが、ワチラロンコン国王からの鶴の一声により解党危機を迎えています。タクシン派としては組織の支持拡大を狙ったにも関わらず、タイ貢献党に次ぐ候補者数を揃えているタイ国家維持党の解散は憂慮される事態で、政権奪取を狙うタクシン派政党に手は痛い風が流れています。

 それでも、タイ国内の世論調査では軍政派の国民国家の力党よりもタクシン派政党への支持が集まっています。これはタイで幾度となく発生したデモを軍が武力で抑え込んだ過去があるからです。実業家だったタクシン元首相による経済政策が支持されタイ貢献党の前身であるタイ愛国党が2001年に政権を握ると、タクシン元首相は出身地である北部地域の貧困層を優遇する改革に乗り出しました。事実、タクシン元首相による分配政策でタイ経済はアジア通貨危機のダメージを克服しましたが、性観光業の急速な発展、麻薬逮捕者への容赦ない処罰、タクシン元首相が絡む企業への利権供与など、社会の秩序を謳った改革とは矛盾する新たな社会問題が次々と浮き彫りとなります。次第に都市部の国民から非難を受けはじめたタクシン元首相は2006年軍事クーデターによって失脚、社会不安を生み出したとしてタイ愛国党も2007年に解散されました。

 軍事クーデター成功でタクシン元首相は犯罪者と目されて事実上タイへ帰国できなくなったため、タクシン元首相の妹であるインラック・シナワトラ氏がタイ愛国党の基盤を引き継いでタイ貢献党を結党、併せて赤いシャツを象徴とする支援組織UDDも結成されました。対する軍政支持者や反タクシン派の国民は王室忠誠の証となる黄色いシャツを象徴とした民主市民連合(PAD)を組織して対抗し、一時は反タクシン派の民主党が政権を勝ち取ります。しかし民主党政権によるタクシン派への弾圧は日々過激となり、2010年には「暗黒の土曜日」と呼ばれるUDDデモ隊への武力弾圧事件が発生。多くの犠牲者を出した暴動となって民主党政権は支持を失いインラック氏を首相とするタクシン派政権が誕生しました。

 インラック元首相による安定した政治も期待されましたが、タクシン元首相の帰国を念頭とした恩赦法制定の動きを加速させると民主党やPADが反発して2013年に反政府デモを起こし、インラック元首相が政権の正統性を示すために実施した解散総選挙も反政府派の妨害によって選挙不成立となります。この混乱が早期に鎮静化しないと判断したプラユット・チャンオチャ陸軍総司令官は収拾策として2014年軍事クーデターを実行し、NCPOによる臨時軍事政権を誕生させてタイ国会の権限を停止させたのです。

軍事政権による強権化

 タクシン派による政策の恩恵を受ける貧民層とタクシン元首相がまき散らした社会問題に反発する都市住民。双方の対立によってタイ政局の混乱は続いて不正選挙と政府機関の不正人事に関わるインラック元首相の失脚劇から、プラユット・チャンオチャ陸軍総司令官が主導して2014年軍事クーデターが発生しました。

 そして、プラユット氏が政権を握るとタクシン派支持層である農村民だけでなく早期の民政移管を求める意見が次第に湧き上がります。2014年5月22日にクーデター宣言をしたプラユット氏はタイ国会の立法権停止だけでなく、君主制に関わる項目以外の憲法停止、5人以上集まっての集会禁止、テレビ・ラジオ局の放送内容規制など、デモ頻発の主要因となったと思わしき活動を規制します。さらに2016年にプミポン国王が亡くなり、軍との距離が近いワチラロンコン国王が即位すると首相となったプラユット氏は国会総選挙を幾度となく順延させました。政策においてもNPCOが制定した2017年憲法によって上院に相当する元老院(250議席)の議員任命に軍が関与できる規定へ変更しただけでなく、総選挙で議員が選ばれるのは下院の人民代表院(500議席)のみとなり民政移管を困難とする政治体制が構築していきました。

 タイ国家維持党がタイ貢献党と連携して政権与党となるためには下院議席のうち376議席以上を抑えねばなりませんが、軍政支持政党である国民国家の力党や反タクシン派先鋒の民主党を筆頭として激しい議席争いが予想されています。そのため、タクシン派政党としてはタイ貢献党より組織体力に劣るタイ国家維持党の党首としてウボンラット王女を押し出し、タクシン派のみの連立政権を実現させる公算を上げる狙いがありました。ですが、軍と縁あるワチラロンコン国王が表面上中立を謳っても民政移管に心中納得していない可能性が高く、事実上の軍政維持を狙ってウボンラット王女を推薦したタクシン派政党を潰すつもりでも不思議ではないのです。

国王は軍政をご所望?

 2014年軍事クーデターによって軍主導による政府体制の下地が築かれてタイの国会総選挙は幾度となく順延された挙句、タクシン派と反タクシン派による政権奪取を防ごうと考えているとしか思えない選挙規定改定がNCPOによって実施されました。加えて、一連の軍事政権化にワチラロンコン国王が拍車をかけている見方を立てるのは難しい話ではありません。

 寛大な国王として慕われたプミポン国王は国民から神に等しい存在として崇拝されている一方、プミポン国王の神格化を推し進めたのはワチラロンコン国王が過去に所属していたタイ陸軍です。タイでは王室へ反発する行為は国家転覆罪として処断されますが、ワチラロンコン国王は自らの経歴と立場を利用してタイの軍政化を画策していると思わせる動きも見せてきました。

 そもそも、ワチラロンコン国王は皇太子時代に女性問題で何度も国民から冷たい視線を向けられており、自らが王位を維持するためには蜜源関係である陸軍の権力を頼る他ないと言っても過言ではありません。つまり、ウボンラット王女を担ぎ上げたタクシン派政党を国家転覆罪に処したのも自らの保身のためで、軍政との癒着関係を強固としたいのがワチラロンコン国王の本音と推察できるのです。政治権力を監視する象徴として王族の政党党首立候補を認めない方針を打ち出しながらも、ワチラロンコン国王は軍政基盤という特定の政治権力との関係を重要視している現実を見逃してはなりません。