タイ軍頼みのワチラロンコン国王

 民政移管へ注目が集まるタイ国民議会総選挙が2019年3月24日に投開票されます。これに対して2014年軍事クーデター以降、タイ政府を担う国家平和秩序評議会(NCPO)はこれまで総選挙日程を延々と伸ばしたり、傀儡政党を結党したりと体制維持を狙う動きを活発化させてきました。特に表沙汰として非難されない点を突いて、元タイ陸軍所属のワチラロンコン国王を民意に反し厚遇する様からも権力掌握の狙いが透けて見えます。

王族籍なき姉の選挙立候補を問題視

 国会総選挙におけるワチラロンコン国王の言動を窺い見ても軍政側に有利とも取れる発言をしています。国際結婚により王族籍を外れた姉ウボンラット王女が文民政党であるタイ国家維持党の党首候補として推薦されると、ワチラロンコン国王はすぐに「王族出身者は国会選挙へ立候補するべきではない」と発言してウボンラット王女擁立は白紙に戻されました。

 タイ社会で王室は象徴として崇拝されるだけでなく幾度とない政治混乱の仲介役として事態を収める役割を担ってきました。東西冷戦時代に近くのベトナムが共産主義との対立で戦争に突入した様を横目に、タイが国内闘争で荒廃しなかったのは国内全体で王朝を慕う風土が根付いていたためです。故にワチラロンコン国王は国民の崇拝対象ともいえるウボンラット王女が選挙に立候補するのは中立性を損ねると判断して、タイ国家維持党へ擁立の取り下げるよう発言したのです。選挙管理委員会もワチラロンコン国王の考えを尊重して、ウボンラット王女擁立は王族の選挙活動参加を禁じた政党法違反だと見なしてタイ国家維持党の解党請求を憲法裁判所へ提出受理されました。ただ、憲法裁判所はタイ貢献党に続くタクシン派政党の第2勢力であるタイ国家維持党の解党は好ましくないと推し量ってか、タイ国家維持党の政治活動は禁止とはされずに反論文の提出を求める処分に留まりました。

 この話だけ聞いていると、ワチラロンコン国王は政党法に基づき適切な考えを示してウボンラット王女の立候補を取り下げさせた様に受け取れます。しかし、アメリカ人と国際結婚したウボンラット王女は既に王族籍から外れて一般籍となっており、政党法で定めるところの王族に当たるのか不明瞭だとしてタイ国内では賛否が分かれているのです。

ワチラロンコン国王と軍の関係

 元王族だったウボンラット王女の擁立取り消しに追い込まれただけでなく、憲法裁判所からの解党請求はタクシン派政党に衝撃を与えました。これに対しタイ国家維持党は対抗策としてNCPOの傀儡政党、国民国家の力党が軍人のプラユット・チャンオチャ首相を党首候補として挙げる行為自体が民政移管の妨げとなり得るとして、国民国家の力党の解党請求を憲法裁判所へ提出、文民政党と軍事政権との対立が鮮明化しています。

 ただ非難が集中している軍事政権と比較して、軍政維持をそれとなく支援している様にも見えるワチラロンコン国王の素振りは強く非難されていません。これは、タイ国家維持党が元王族を党首候補に擁立した行為が王朝の権威を乱したと判断されて訴訟された一連の流れからも理解できるとおもいます。タイ社会は国王の機嫌を損ねる行為は不敬罪として処罰対象となるため、たとえ悪王だと国民が感じても声を大にして挙げることが難しいのです。そのため、ワチラロンコン国王が非難されるべき言動を執ったとしても批判は軍事政権に向くことになりますが、裏を返すと国王が軍との癒着関係を盤石とすれば王朝は国民の意に反する絶対権力となり得るわけです。

 こういった権力関係を懸念要素として挙げるのも、ワチラロンコン国王が皇太子時代よりタイ陸軍と蜜月関係を築いてきたからに他なりません。オーストラリアで軍事学を専門的に学んだ若き日のワチラロンコン皇太子は1975年にタイ陸軍に入隊。仏教の仕来りに従い一度除隊しましたが、復帰後はアメリカ軍をはじめとする旧西側諸国の合同軍事演習を指揮する立場となります。当時タイは国境を接するベトナムの共産化に警戒感を強めておりワチラロンコン皇太子も国防の重要性を認識して、国境警備を担う陸軍との関係を重要視していました。対するタイ陸軍もクーデター毎に軍による政権掌握が幾度も発生しているタイの歴史を鑑みて、将来の国王となり得るワチラロンコン皇太子に接近するのは政界に存在感を示す好材料と考えていました。こうして、共産勢力の脅威が無くなった後もワチラロンコン皇太子は陸軍との関係を深めていったのです。

 時代は進んで2014年軍事クーデターが発生する頃には、老体となったプミポン前国王に変わってワチラロンコン皇太子と妹のシリントーン王女が職務を分担していました。そして2016年にプミポン国王が崩御すると国民が望んだシリントーン王女即位は見送られ、軍事政権と親密な関係を築いているワチラロンコン皇太子が国王に即位する運びとなったのです。

羞恥を重ねる皇太子の国王即位

 プミポン前国王危篤の報が流れた際に表立って騒がれなかったものの、タイではワチラロンコン皇太子ではなくシリントーン王女の王位継承を望む声が多勢を占めていました。ワチラロンコン氏の王位継承が非難された理由としては、軍人として人生を歩んできたワチラロンコン皇太子とは違いシリントーン王女が国際派の文民として名が通っていた点もありますが、最も然とした理由はワチラロンコン氏の女性遍歴や道楽癖です。

 ワチラロンコン氏はこれまで結婚と離婚を3度繰り返して愛人問題も度々話題に挙がっただけでなく、露出度の高い服装を着てドイツの別荘から帰国する姿が激写された際は国際的な波紋を広げています。元ストリッパーである3人目のシーラット・スワディー夫人には王室主催のパーティーで全裸にさせるなど、王位後継者としてあるまじき行為を幾度となく繰り返してタイ国民から失望を買ってきました。また、若い頃から夜遊びやアンダーグラウンドな文化に強い興味を持っており、ドイツから帰国する様子が撮られた写真でも身体に刺青の様なペイントを塗っていた姿が目撃されています。数々の蛮行を積み重ねてきた事実を鑑みれば、国民の支持なきワチラロンコン皇太子の国王即位は通常あり得ない話です。

 しかし、2014年軍事クーデターによってNCPOがタイ政府を掌握すると話が変わりました。NCPOが敷いた数々の制限規定により民主的な政治活動は抑制されて、強権化を進める軍総司令の意見がゴリ押しでもまかり通る状況に陥ったのです。これにより子供がいない点も相まって、国民から大きく支持を集めているシリントーン王女の王位継承は事実上困難な状況となり、2016年10月にプミポン前国王が崩御すると軍事政権のプラユット首相は間もなくワチラロンコン皇太子の王位継承を発表。先代国王の崩御から1ヵ月以上の期間を開けてワチラロンコン国王が誕生することになりました。

 素行不良が国内外で広く共有されていたにも関わらずワチラロンコン氏が国王として即位できたのは、彼が若い頃からキャリアを積んで退役後も懇意にしてきた軍部の後押しに他なりません。厳格な不敬罪による重罰が敷かれているタイにおいて王朝批判は超えてはいけない一線として畏怖されていますが、裏を返すと現行の軍事政権が崩壊すればワチラロンコン国王への反発デモが発生しても不思議ではないのです。

軍と近しい国王

 軍事政権の後ろ盾にして国王に即位したワチラロンコン氏にとって最も恐れていることは国民が求めている民政移管と言えるでしょう。仮に議会の文民化が完了すれば、既成事実として知れ渡っている愚行の数々を理由にワチラロンコン国王の退位を求めるデモが散発しかねないため、ワチラロンコン国王としては軍政の傀儡政党である国民国家の力党の躍進を望まざるを得ないのです。

 文民政党のタイ国家維持党によるウボンラット王女擁立が違憲判断されたのは何もワチラロンコン国王自身の特権的発言だけでなく、自らの支持基盤であるNCPOや国民国家の力党に不利益を生じさせないための手段だった点も否定できません。重罪とされる不敬罪があるにも関わらず、ワチラロンコン国王は王位継承人であるシリントーン王女や国民だけでなく一般籍のウボンラット王女ですら自らの脅威と感じている現われとも受け取れるのです。そういった意味で、迫る2019年の国会総選挙はワチラロンコン国王としても無視できない重要な日といえます。