印パ関係を曇らせるカシミール問題

 パキスタンに拠点を構えるテロ組織によるインド軍襲撃がキッカケとなり、印パが歴史的に領有権を争ってきたカシミール地方で武力衝突がはじまっています。インド軍がテロ組織への報復として実施した空爆によって緊張感は飛躍して高まり、双方の内政事情も相まって事態は収まる様子を見せません。

対テロ組織作戦が武力衝突へ

 事の発端は2018年2月14日にインドが統治するカシミール南西部プルワマにて発生した、インド軍治安維持部隊を乗せたバスを標的とした自爆テロです。予てより印パ両国からのカシミール分離独立を訴えるイスラム原理主義組織ジェイシモハメド(JeM)が犯行声明を出すと、インド政府は強硬策として26日よりカシミール北部パキスタン統治地域にあるJeMの軍事拠点に空爆を仕掛けました。

 インドの軍事強硬策に対してパキスタン政府は事を穏便に済ませようと動いていきましたが武力衝突に発展します。JeMによるテロ発生後から衝突回避の道を模索していたパキスタンのイムラン・カーン首相は、後述する管理ラインを越えてインド空軍がJeMの軍事拠点を空爆した際にも「インドが攻撃してきたら応戦するが積極的な対抗措置は取らない」と対外面に配慮した声明を発表しました。ですが、インド側による協定ライン突破に軍部は黙っておらず空爆翌日にはインド軍戦闘機2機を撃墜して搭乗パイロットを拘束、双方による砲撃合戦の火ぶたが切られました。

 係争地カシミールの武力衝突はすぐさま各国メディアでも取り上げられ国際的な非難が沸き立ちましたが、一度戦闘が始まった両国とも砲撃中断が困難といえる内政課題に直面しています。2019年春に国会総選挙を控えているインドでは、ナレンドラ・モディ首相率いる与党インド人民党(BJP)が昨今の支持離れに警戒感を強めており、ヒンドゥー至上主義を掲げてカシミールにおける領地獲得闘争を正当化した末に支持率回復を狙いたい思惑があります。対するパキスタンのカーン政権は衝突を避けようと努力はしているものの、幾度とないクーデターで軍事政権が誕生した過去を持つパキスタン政府のシビリアンコントロールは脆弱と言わざるを得ません。そのため、戦闘を避けたいカーン首相の考えとは裏腹に政府は軍部の行動を完全に丸め込めていないのも現実です。

 右派政権による戦闘継続が叫ばれるインド国内と軍部の動きを満足に抑えられないパキスタン政府。双方の国内事情からもカシミールを巡る戦闘は今後も激化する恐れがあり、空爆や戦闘機撃墜という急激な緊張感の高まりに国際社会は固唾を飲んでインドとパキスタンの動向を注視しています。

インドとパキスタンの対立関係

 インドとパキスタンによるカシミール地方を巡る争いは両国がイギリス領から脱した1947年からはじまりました。現地領主が統治する藩王国とイギリス直轄地による並立統治体制が築かれていた英領インド帝国が第二次世界大戦後に崩壊すると、ヒンドゥー教徒はインドをイスラム教徒はパキスタンをそれぞれ建国しました。

 当時、カシミール地方を統治していたジャンムー・カシミール藩王国の支配層はヒンドゥー教徒でしたが大半のカシミール住民はイスラム教徒だったため、カシミールは印パ独立後どちらの国に帰属するかで揺れていたのです。決断の遅さに痺れを切らしたパキスタン側から民兵が進撃すると藩王ハリ・シングはカシミールのインド帰属を決定して第一次印パ戦争が勃発、1948年末の国連仲裁による停戦まで戦闘が続きました。その後も1965年に第二次印パ戦争、1971年に第三次印パ戦争が起こりカシミールを巡る領有権争いは中国も絡む三つ巴の様相となりましたが、1972年のシムラー協定に基づく管理ラインが定められると事態は一度落ち着きを見せました。しかし、カシミール地域のイスラム系住民が多数を占める事実に変わりはなく、インドからの分離独立を標榜するJeMなどのテロ組織が90年代に次々と結成されると、20世紀末にはイスラム武装勢力によるインド軍施設占領を発端としたカールギル紛争やインド国会襲撃事件へ発展しました。

 こうした歴史を積み重ねてカシミール地域はインドとパキスタン、さらにはパキスタンと親交が深い中国も交えた領土争いが延々と続いているのです。さらに現地イスラム系住民にとってはカシミールのパキスタン併合ないし分離独立を望んでいるため、時にはJeMなどのテロ勢力とパキスタン軍が共闘することも往々としてあり、領土争いの長期化がカシミール地方の治安悪化と経済発展の鈍化を促しているのです。

扇動するインドと焦るパキスタン

 英領インド体制の崩壊から続くカシミール地方の統治係争が印パ両国にとって緊張感を高めてきた歴史は、テロを発端とする2019年の武力衝突においても国威発揚を煽る材料として政治利用されています。現にインドではパキスタン軍に拘束されていた空軍パイロットが帰国すると同時に英雄扱いされている一方、パキスタンはアメリカから発破をかけられて事態鎮静化を急いでいます。

 パキスタン軍は2月27日にインド軍戦闘機を撃墜した際、搭乗していたインド空軍所属のアブヒナンダン・ヴァルタマン中佐ら2人を拘束しました。これにインド側はカシミールでの砲撃を継続しながらも事態収拾の証を示すようパキスタン側に催促したため、パキスタン政府はヴァルタマン中佐を3月2日にインド側へ釈放します。するとモディ政権やインドメディアは撃墜されながらも祖国へ帰還したヴァルタマン中佐を英雄だと称えだし、煽りを受けた多くのインド人男性がヴァルタマン中佐のトレードマークであるカイゼン髭を真似る社会現象がものの数日で発生しました。インドの各メディアも主戦派の論客たちが愛国心を掻き立てるような発信を続けており、海外メディアやSNS上では戦争を誘発しかねない国威発揚行為だと非難が集中しています。

 対してパキスタン政府は協力関係を築くアメリカから詰問される厳しい立場となっています。というのも、インド軍戦闘機を撃墜したパキスタン軍戦闘機がアメリカとの秘密規約の基で購入されたF-16戦闘機である可能性が高く、秘密規約で明記されていると推測される対戦闘機運用の禁止に抵触していないかアメリカ側が調査を開始したのです。一帯一路による対中債務が膨らむパキスタンはアメリカが多額の出資をしている国際通貨基金(IMF)に財政支援を要請しており、非常に痛いアメリカからの追及にパキスタン政府は頭を抱えているのです。またインドからは事態鎮静化に向けた努力している証を示すよう言い寄られており、パキスタンは事の発端であるテロを引き起こしたJeM幹部ら44人を捜査のためとして予防的に拘束するだけでなくカシミールでの問題発生以後、パキスタン本国に召還していた駐印大使を復帰させる措置を執りました。ですがインドは過去にJeM幹部を逮捕しながらも釈放した前例からパキスタン政府の動きを今のところ評価しておらず、水面下でJeMとの提携関係を維持している噂があるパキスタン軍も苦々しい思いをしています。

 時のモディ政権による選挙戦と絡んで帰還した戦闘機パイロットを英雄扱いするインドと比較して、パキスタンは米印からの追求に青息吐息の状態に陥っています。依然としてカシミールでの砲撃合戦は続いている点だけでなく、政府内の不安定さを勘定すれば戦闘が長引くと不利になるのは間違いなくパキスタンです。故に、カーン首相はアメリカや中国にインドの軍事行為は非人道的だと訴える政策を執っており、大国に媚びるパキスタンの姿勢がインド国民の苛立ちはさらに掻き立てる悪循環が生まれています。

真っ先に犠牲となるカシミール住民

 根深い歴史問題でもあるカシミール地方での戦闘勃発は国際社会としても注意を向けざるを得ない重大事案です。特にインドもパキスタンもカシミールにおける戦闘を繰り返して核保有国となった歴史を踏まえれば、いざ管理ラインを無視した戦争が始まれば収拾がつかなくなるのは火を見るよりも明らかです。

 そして忘れてはいけないのはカシミールで戦闘が起きる度、最初に犠牲となるのは地域住民に他なりません。インド軍がカシミール北部のJeM拠点を空爆した際、爆弾が投下された周辺地域の建物は破壊されて病院には親を失った子ども達が入院するなどしています。印パ間で戦闘が繰り広げられることで最も傷付けられるのは地域社会を支えているはずの住民達なのです。