選挙不正疑われる2019年タイ国会選挙

 タイで5年ぶりに実施された国会選挙において文民政党・タイ貢献党などのタクシン派や市民団体が共同で選挙不正があったと訴え、一部選挙区で投票がやり直しとなる事態に発展しています。それだけでなく2019年3月24日の選挙実施後すぐに選挙管理委員会が発表した投票総数が修正されたこと、無効票の異常に多かったことも問題視されています。

軍政優位のタイ政局

 タイでは貧困層を支持基盤とするタクシン派政党と都市圏に支持者を抱えるタイ民主党との対立が長年続いてきました。21世紀に入ってタクシン派政党は社会保障を拡充する政策により貧困層の生活環境を改善させましたが、タクシン派関連企業への利益供与が明るみになると都市部の民主党支持者が反発の声を挙げました。以来、タイでは政治混乱が絶えず2014年にはクーデターによって軍事政権誕生に至ります。

 陸軍出身のプラユット・チャンオチャ首相が国のトップに就いて国家平和秩序評議会(NCPO)が発足すると、NCPO軍事政権は5人以上集まっての集会を禁止するなど国民の声を封殺する規制を敷きました。さらに、政権掌握後速やかに実施すると国民に約束した国会選挙も延々と順延されただけでなく、2017年には民政移管後も軍が政治介入できる新憲法が制定されて国民から非難が沸き上がりました。選挙日程が明るみになっても、NCPOはタクシン派政党・タイ国家維持党が元王族で一般籍となっているウボンラット王女の選挙擁立を不正だと訴え、憲法裁判所も違憲判断を下してタイ国家維持党は解党に追い込まれています。NCPOは軍事政権による政局安定化を狙い、度々騒ぎを起こしてきた文民政党の影響を選挙戦でも抑えようと画策しているのです。

 しかしながら国民からの支持はいま一つで、選挙開票速報で第1党となったNCPOの傀儡政党・国民国家の力党は後述する得票総数不正騒動も相まって大きく議席を落とします。出口調査ではタクシン派政党筆頭のタイ貢献党と票数が競り合うと見られていた国民国家の力党ですが、蓋を開けてみるとタイ貢献党が135議席に対して国民国家の力党が119議席。タクシン派政党が結託する点を考慮すれば下院での国民国家の力党の敗北が濃厚となりました。これに腹いせのごとく国民国家の力党はタクシン派でも軍政派でもない新興政党・新未来党を「海外で学んだ左翼思想を持ち込む集団」として罵詈雑言を浴びせ、不正政党として政府権限で解党命令を下そうと躍起になっている始末です。

 収拾がつかなくなった文民政党同士の争いを沈め、政権を下野するはずだった軍人たちがNCPO体制を引継ぐため国民国家の力党に権力移譲しようとしているのは明らかです。そのためにもNCPOは敵対するタクシン派政党や新興政党を不正政治団体として訴えてでも、現在の軍事政権を維持しようとする構えを見せているのです。

不正を訴える声

 対立勢力には不正組織のレッテルを張ってネガティブキャンペーンを実施している軍事政権側ですが、タイ貢献党を筆頭とするタクシン派も方向は違えど選挙管理委員会のずさんな体制が不正の温床となっていると指摘。不手際が次々と浮き彫りとなっているだけでなく、一部選挙区では集計をやり直す事態に発展しています。

票数の誤差

 選挙後まもなく選挙管理委員会は得票総数を約3,550万票と公表しましたが、28日には約450万票もの開きがある得票総数を改めて発表しました。実は有権者からも選挙終了後すぐに選挙結果が国民国家の力党へ優勢になるよう仕組まれているではと疑われており、3月25日のタイTwitter上には「選挙委員会のしくじり」「選挙不正」などの言葉がトレンド入りしていました。さらに、不自然は白票や無効票の総数が約273万票にも達していたため有権者の不信感も掻き立てられていました。選挙の公平性を揺るがしかねない票数に絡む数値の歪みにタイ国民は選挙不正を疑っているのです。

再選挙の実施

 当日、選挙会場に立会人をしていた人物にもNCPO寄りの人間がいたのではと疑いの目が向いています。4月4日に選挙管理委員会は集計が正確ではなかったことを理由に、首都バンコクを含む計8投票所にて再投票もしくは再集計を実施すると発表しました。不正が疑われる無効票があまりにも多かっただけでなく、当日訪れた有権者数と合わない選挙所で再選挙が行われる事態に陥った国政選挙に有権者は失望を隠しきれていません。選挙結果は5月9日までに確定するので各党の当選者数が前後する可能性はまだありますが、相次ぐ選管の不手際から不正なき選挙結果が得られる訳がないと、タクシン派や市民団体が声を挙げて意を唱えている状況に陥っています。

軍政とワチラロンコン国王の親和性

 NCPOが発足して以来、タイ国内では政治結社の結党や言論の自由が抑圧されてきました。選管や国民国家の力党による数えきれない不正の疑いに有権者が怒り心頭になるのも無理はありません。ですが、タクシン派と反タクシン派による過熱した衝突劇が繰り返されたクーデター以前の政情を鑑みて、タイ社会の安定を望んでワチラロンコン国王と距離が近い軍事政権に権力を委ねようとする国民も少なくありません。

 これまでタイ社会で動乱が発生した場合は必ず絶対不可侵とされる王室が調停役となり事を収めてきました。曲がりなりにもタイの歴史上、暴動からの武力闘争に発展していないのは国民性に由来する王朝への崇拝心があるためです。しかし、賢王として慕われていた先代の故プミポン前国王が崩御すると、数々の愚行を重ねてきた元軍人のワチラロンコン皇太子がNCPOの意向で即位。表沙汰に王族を批判すると不敬罪で処罰対象となりかねないため目立って非難論争は沸き上がりませんでしたが、国民の間では王位相応でない人物が即位したと内心で嫌悪感が渦巻くことになりました。今回の選挙でも規定上は王族籍から外れて一般人となっている姉ウボンラット王女の選挙擁立を非難するなど、中立性が求められる国王の立場から逸脱していると批判されかねない発言をしています。そのため有権者からはNCPOや選挙管理委員会が不正の批判対象としてやり玉に挙げられながらも、ワチラロンコン国王への不信感も話題となっていませんが広く共有されています。

 元軍人の国王が誕生したことでNCPOによる強固な統制社会が実現されている現実は否定できません。そのため、選挙の度に不正があったと叫ぶタクシン派の態度に呆れている有権者は本心ではなくとも軍事政権の維持を望んでいるきらいがあります。ただし、軍事政権が維持されている裏には不人気なワチラロンコン国王の存在が色濃くあり、厚い信仰心を重んじるタイ国民はジレンマを抱えています。

不正選挙による対立は尾を引く

 投票総数の数値をはじめ多くの不正が確認されている2019年のタイ国会選挙ですが、仮にタイ貢献党が下院第1党となっても実質NCPOが任命権を掌握している上院250議席の存在は大きく、タクシン派政党が政権与党に返り咲くことは困難とみられています。再投票や比例議席がまだ不確定ではありますが不正甚だしい選挙に基づいた国会選挙への非難は今後も必至でしょう。

 NCPOは政府掌握をキッカケとして軍出身ワチラロンコン国王の即位を強行するなど、重ねてきた政権による横暴に黙っていられない国民はタクシン派政党支持者を中心に多くいます。一方で揉め事を嫌う有権者がNCPOの傀儡政党である国民国家の力党へ投票する傾向もあり、不正票による軍事政権側の根回し工作の影響を排除しても政治への無関心化が進行している様子が僅かながらうかがえます。とはいえ政権を維持したいNCPOと完全な民政移管を望むタクシン派政党との衝突は過熱する様相が見えており、現状タイの政治混乱が収まることは期待できません。再選挙実施など選挙そのものの正当性が疑われている状況を踏まえても、NCPOや選挙管理委員会に対する不正への疑心暗鬼は議会発足後も晴れることはないでしょう。