バシール大統領失脚に喚起するスーダン国民

 スーダンで樹立された暫定軍事政権に市民が民政化を求めるデモを継続させています。30年もの独裁政権を築いたバシール大統領が軍に拘束され失脚して国民は歓喜したものの、バシール大統領と近い軍人が暫定政権トップへ任したことに市民が激怒。すぐにバシール大統領と距離を採っていた人物がトップとなり国民との交渉に臨もうとしています。

アラブ人至上主義の非道

 スーダンで発生している民衆の反発感情を深く知るには、イギリスとエジプトによる植民地時代から現在までの歴史を振り返ると分かりやすいでしょう。スーダンが19世紀にイギリスとエジプトが共同統治する植民地になると、現地の統治者だったムハンマド・アフマドが決起してマフディー国家を樹立しますが鎮圧されました。以来、エジプト由来のイスラム教スンニ派の影響を受けるアラブ人がスーダンの領内権益を獲得していきます。

 しかし南部にはキリスト教信者、西部ダルフール地方には非アラブ人が多く住んでおり、元来遊牧民ムスリムであるアラブ人が植民地から独立した折に政権を握る見込みが濃くなると不満が爆発。1955年にスーダン政府と非アラブ系の武装組織による第一次スーダン内戦が発生して、1972年のアディスアベバ合意に基づく停戦から非アラブ人による南部の自治権拡大が約束されました。ですが現在のスーダンと南スーダンとの国境周辺に大規模油田が発見されると1983年に第二次スーダン内戦へ突入します。その後、バシール政権が成立したスーダンはイスラム法を崇拝しない国内組織を徹底的に弾圧するようになりますが、難民となった少年たちがアメリカで生活をはじめて内戦の実態が国際的に共有されるようになるとバシール大統領への非難が沸き上がりました。結果、2005年に南北包括和平合意が調印され南部ではイスラム法が批准されないと取り決められ、2011年の住民投票を経て南スーダンが独立しました。

 内戦が終結したのち、国際社会はアラブ人イスラム主義を国民へ強要したスーダン政府への戦争責任を追及します。特に第二次スーダン内戦における和平協定交渉中だった2003年、ダルフール地域の住民が石油利権を得られないことに反発して発生した新たな争い。ダルフール紛争にてアラブ人民兵組織ジャンジャウィードがバシール大統領などの差し金で非アラブ人の虐殺を続け、多くの難民を生み出したとして国際刑事裁判所はバシール大統領の逮捕状を発行しました。そこに後述する南スーダンとの石油利権問題が発生してスーダン経済は低迷し、生活必需品がインフレで値段が跳ね上がり市民の怒りが募った末。2018年末からスーダン全土で反政府デモが巻き起こり、現地下士官兵も民衆に同情したため2019年4月11日未明にバシール大統領は失脚したのです。

 政府がアラブ人によるイスラム至上主義を善だと定義したことで内戦は泥沼化し、スーダンは独立以来争いが絶えない多民族国家として国際的な非難を常に受け続けてきました。故にスーダンの人々は絶対的な独裁者だったバシール大統領の失脚にもろ手を挙げて喜んでいるのです。

南スーダンとの石油利権争い

南コルドファン州(図中:紅色部分)とアビエイ地区(図中:赤色部分)
※ウィキペディアより

 2度のスーダン内戦に加えてダルフール紛争によるジェノサイドなどスーダンでは建国以来争いが絶えません。ただ、紛争が始まった頃は宗教に基づく武力衝突でしたが80年代以降になると石油利権が強く絡む闘争へと性格を変化させています。そして南スーダンが独立すると、国境沿いにある多くの油田地帯を巡って南北スーダンのにらみ合いが続くことになりました。

 第一次スーダン内戦が終結した3年後、アメリカの石油会社シェブロンがスーダン中央地域のコルドファン地方南部アビエイに巨大油田を発見しました。敏感に反応したスーダン政府は当時の南スーダン自治体側の意を汲まずに州境を変更しようと画策したため、反発する南スーダンの国民が武力蜂起して1983年に第二次スーダン内戦が勃発しました。そして内戦と並行して21世紀へ突入する頃にアビエイは東隣りのヘグリグも含め、スーダン国内の産油量のうち半分を占める一大油田地帯となります。無論、第二次スーダン内戦の和平交渉でも双方の国境線策定において大きな議題とされましたが、南北スーダンともにアビエイとヘグリグを譲ることはありませんでした。これに仲裁役の国連が南スーダン側に油田が偏っている点を考慮してヘグリグをスーダン領に、アビエイを現地の住民投票によって南北どちらかの所領とするか判断する取り決めをしました。

 ですが当事者間の詳細な詰め合わせは実施されず南スーダンが独立したため、両国が油田地帯を巡って争いを止めることは叶わず2012年に南北スーダン国境紛争が発生します。先行してヘグリグを抑えた南スーダン軍の行動にスーダン軍は空爆で応酬する事態に発展しましたが、国連からの即時停戦要求によって翌2013年1月にエチオピア首都アディスアベバにて産油地帯の暫定処遇が決定されます。これにより両国の戦闘激化は避けられたものの石油関連施設が破壊されただけでなく、依然としてアビエイ地域の住民投票が実施されないなどの影響で両国経済は疲弊。産油量も全盛期の1/4にまで減少して通貨スーダン・ポンドのインフレが進行して国民生活も次第にひっ迫していき、怒りの矛先は独裁体制を築くバシール大統領へ向かうことになったのです。そのため、デモを抑えられなくなった軍部はバシール大統領を拘束して30年間続いた独裁政権に終止符を打ったのです。

 油田が発見されて以来スーダンは経済発展の要として外貨収入を石油輸出に依存していました。しかし、国が南北に分裂する状況となって石油利権の獲得争いが激化すると外貨収入は激減。独裁政権の頼みの綱だった経済体制が成り立たなくなりバシール大統領は打倒されたのです。

第2のアラブの春

 国内全土で実施されたデモによって崩壊したバシール独裁政権の代わりにスーダン政府の実権を握ったのは暫定軍事評議会ですが、トップに就任したのがバシール大統領の側近だったイブンオウフ国防相だったことに国民は反発。わずか1日で退任に追い込まれ、代行にバシール大統領と距離が遠かったブルハン中将が就任しても人々の早期民政化を望む声は止んでいません。

 暫定軍事評議会による統治にスーダンの国連大使は緊急招集された会合にて「国内問題である」と語り、軍事政権による統治が必要なプロセスだと説明しました。対して国連のみならずアフリカ連合(AU)は声をそろえて早期の文民政権樹立を要請しました。特にAUは軍事政権が誕生してもスーダンが抱える問題が解決されないとして、4月末までに民法制定が実現しなければAUの加盟国資格を停止すると警告しました。しかし軍事政権は2年の暫定統治と憲法停止をすでに宣言しており、AUが要求している民法制定が期間中に達成されるのは難しいと言わざるを得ません。民衆のデモを指導しているスーダン専門職組合も軍事政権側の無茶な要求に妥協しない方針を明確に打ち出しているため、双方が十分な交渉期間を設けるとしても早期の暫定軍事政権の解体は難しいでしょう。

 だからといってスーダン専門職組合も軍の必要性を認識しており、衝突を避けつつ交渉を重ねて文民移管を確実に成功させたい狙いを持っています。これは先行した隣国エジプトの独裁政権がアラブの春によって打倒されるも間もなく軍事政権に舵を奪われたためで、二の轍を踏まない第2のアラブの春を実現しようと国民は思案しているのです。

文民政権誕生には時間を要する

 アラブ人至上主義によって対立感情が煽られ続けたスーダン国民にとって、安定した文民政権の誕生は長年望まれた悲願でもあります。ただ、ダルフール紛争におけるバシール大統領の犯罪処理など、度重なる戦闘によって傷ついた国土再生への道は容易ではありません。加えて、バシール大統領と距離が遠い軍人とはいえ暫定軍事評議会トップのブルハン中将もアラブ人支配階層の出身です。スーダン専門職組合を筆頭とする国民側の意思を丸呑みして受け入れられる立場ではない以上、民政移管には軍事政権が設定した2年の交渉期間は最低限必要でしょう。

 国際機関も早期の民政移管を訴えていますが30年もの独裁体制下によるスーダンの荒廃した現状を考慮すれば、体制崩壊後1ヶ月も待たずして加盟国停止処分を言い渡したAUの姿勢は酷だと言えます。しかしながら、未だ戦火の火種が燻っているアビエイなど油田地帯の領有問題を解決するためにも、武力に頼らない文民政府の早期樹立は周辺国家が総じて望んでいる意思だということを忘れてはいけません。