鴻海・郭会長立候補で騒めく台湾総統選挙

 電子機器世界最大手の鴻海精密工業の郭台銘会長が中国国民党(通称:国民党)の総統候補として立候補を表明し話題となっています。仮に郭会長が総統に就任すれば台湾と中国の統合論が盛り上がりかねず、与党・民主進歩党(通称:民進党)支持者だけでなく2018年の統一地方選挙で国民党候補へ投票した無党派層からも反発の声が挙がっています。

台中統一論に駆られる台湾

 台湾政府もとい中華民国政府は第二次世界大戦後に台湾へ亡命して以来、大陸の中華人民共和国からの影響で幾度となく国際社会において憂き目を経験しています。常任理事国として発足にと携わった国連からは除名され、国際スポーツの舞台でも中華民国ではなくチャイニーズタイペイ名義で参加してきました。

 こうした国際社会における疎外感から脱しようと近年、台湾国内では国民党と中心とする右派を筆頭として中国との併合を望む台中統一論者の発言力が強くなっています。後述するポピュリズム的な要因もあり2018年の統一地方選挙にて国民党が大勝するなど、経済大国となった中国との国交を修復して距離を詰めるべきとの声が国内で大きくなっているのです。比べて現在の民進党政権は経済成長を実感できない国民の声に押されて2016年に誕生しましたが、各所得層を極力刺激しないよう内政改革に着手したため実績が残せず国民から失望の念が高まり支持率を落としているのです。しかしながら台湾経済は不調というわけではなく、むしろ中国企業との関係を深めれば景気も上向くと見立てる実業家や無党派層も少なくありません。これに民進党やその支持者たちは過剰な親中路線を推し進めた国民党政権時代に逆戻りすると懸念の声を挙げています。

 現在総統を務める蔡英文氏は経済面における中国依存を軽減するため、新南向政策に打ち立ててASEAN各国と協力して経済発展を実現しようと推進してきました。ですが、中国との太いパイプを軽んじられる恐れから蔡総統の方針に納得しない実業家も多く、特に中国国内の巨大工場を構える鴻海の郭会長も以前から民進党政権の脱中国依存に異を唱えています。

ビジネスファーストを重んじる郭会長

鴻海グループの郭台銘会長
※Wikipediaより

 郭会長が鴻海を創業したのは1974年。家電製品のプラスチック部品を製造する企業としてスタートしましたが、1980年代には開発したPC用マザーボードコネクターがインテルに採用されると業績を急拡大させました。以来、アップルiPhoneなど通信機器企業に精密部品を供給するメーカーとして世界企業へのし上がり現在に至ります。

 ただ、鴻海の成長を支えたのは中国本土への積極投資による大量生産体制の確立と、高額な報酬で引き抜いた優秀な人材をうつ病になるまで使い続けると言われる郭会長の商魂によるものがあります。それだけでなく、鴻海グループが全世界で抱える社員約80万人のうち54万人ほどは中国出身の社員であり、郭会長が台中関係のキーマンとして台湾国内でも注目人物として予てから挙げられてきました。年間輸出額のうち3割が対中輸出に依存している台湾の貿易事情を踏まえれば鴻海の存在は決して軽視できませんし、鴻海にとっても生産拠点としての中国を重要視しているため長い年月をかけて郭会長は中国共産党との関係を深めてきました。鴻海もとい郭会長は以前から蔡総統が掲げる新南向政策が台湾経済を減速させる愚策だと受け取っており、台中経済の一体化が最善解と考えている国民党の要請を受けて総統選挙に立候補したのです。

 加えて郭会長は2014年、当時の国民党政権が海峡両岸サービス貿易協定の批准を強引に推し進める姿勢に反発して発生したデモ。ひまわり学生運動に対して、「台湾経済はひどく低迷していないのに、たった一度の街頭運動でどれだけの社会資源を消耗しているのだろうか」、「民主主義は経済に依存している。デモを引き起こせば重要な人材、産業界のエネルギー、警察などの治安維持などすべてが民主主義に注がれるわけで、大規模な浪費を生み出している」など、経済事情一辺倒な発言を残しています。この点からも郭会長が政治的イデオロギーを軽視して、ビジネスファーストの考えに編重していることが理解できるでしょう。ゆえに、ひまわり学生運動の流れから誕生した蔡英文総統が目指す中国に依存しない新経済圏構想に嫌悪感を抱くのは至極当然なのです。

 社員を酷使する狂気じみた経営戦略によって鴻海を世界企業に押し上げた郭会長は台湾経済の動向しか注目しておらず、台中統一に反発する民進党支持者の心情を汲み取ることもありません。それでも国民党が鴻海という一大企業のトップを総統候補に推薦したのは経済的な実情を受け止めた上で、郭会長の推進力が必要と踏んだために他ならなりません。

失望する無党派層

 中国との経済的なつながりを重要視する国民党と考えが一致した末に鴻海の郭会長は総統選挙へ立候補しました。他方、台湾の無党派層は2018年の統一地方選挙で国民党が躍進する旗振り役となった。韓国瑜(カン・コクユ)高雄市長が総統選挙への出馬を否定したことにため息を漏らしています。

 そもそも昨年の統一地方選挙で国民党に大勝を呼び込んだのは韓市長です。政治家として一戦を退いた人物が高雄市長に立候補する様子を罵倒するベテラン民進党議員の動画がネットで共有されて、反民進党感情が無党派層に浸透していき韓氏への支持が急速に広まったのです。結果、全22県市長のうち国民党候補者は13県市長で当選を果たして蔡英文政権の失速を決定づけました。国民党勝利の立役者となった韓市長は総統選挙にも立候補するだろう。迫る国民党内の総統候補者調整にメディアも国民も韓氏の発言に注目していましたが、先行して鴻海の郭会長が総統選挙立候補を表明すると後追いで開かれた会見で韓市長は総統選挙へ出馬しないと断言したのです。これに民意を反映してくれる総統候補が消えたとして市井の人々は失望しており、民進党への嫌悪感を併せて市民生活を好転させてくれる救世主がいないのかと困惑しているのです。

 仮に郭会長が総統に就任すれば、中国共産党との太いパイプを活かした経済成長戦略によって台湾経済の成長は加速するでしょう。ですが、市民にとっては民進党に裏切られ、望みを託した韓市長も総統選挙へ立候補しないとなれば誰が総統に就任しても台湾の独立が脅かされるのではと、無党派層にイデオロギー的な危機意識が芽生えつつあります。

経済優先策は台湾独立を脅かす

 米中貿易戦争が勃発してから世界経済に不協和音が流れています。当然ですが貿易産業を中国に大きく依存する台湾では経済事情への不安感が漂っており、2020年1月に実施される総統選挙にはいの一番に経済成長戦略が争点として挙げられているのは目に見えています。となれば、実業家として無類の実績を残している鴻海の郭会長に票が集まるのは分かりきった話です。

 ですが2016年に蔡英文総統が誕生したのも、2018年に国民党候補の多くが県市長に当選したのも、すべて無党派層の大きな浮遊票によってもたらされた結果でもあります。一方でビジネスファーストを重んじる郭会長が総統に就任すれば民進党政権とは真逆の親中政策が採られるのは必須ですし、鴻海特有のモーレツ社員文化が行政省庁に強要される可能性も無きにしも非ずといったところでしょう。いくら経済が上向きになっても市井の人々から支持されない政策は受け入れられないでしょうし、そもそもワントップで鴻海を率いてきた郭会長が総統に就任して民衆の意見を汲みとれるのか。未知数な不安要素が多いのも次回総統選挙の論点と言えます。