経済制裁の影響を配慮した北朝鮮のミサイル実験

 厳しい経済制裁下で1,000万人以上の国民が食料危機に瀕しているにも関わらず、北朝鮮軍は2019年5月4日と9日にミサイル実験を強行しました。しかし、国連制裁決議違反ともいえるミサイル発射にアメリカ政府をはじめメディア各社は「飛翔体」などの表現を用いて強い批判姿勢を採っていません。

ロシア製ミサイルを発射か?

 金正恩体制が発足してから北朝鮮はミサイル発射を繰り返してきましたが、アメリカや国連からの経済制裁による影響で経済停滞を招いたため、南北首脳会談や米朝首脳会談における協議の末にミサイル実験を自粛と核兵器廃絶を約束しました。ですが、目下課題とされていた核兵器廃絶が進まないため国連やアメリカは経済制裁を解除しませんでした。

 こうした事態の痺れを切らしたのか。北朝鮮軍は5月4日に東部の工業都市・元山近くから日本海へ向けてミサイルを発射、朝鮮半島の海岸線に沿うように元山から最大240km先の日本海へ着水させる実験を行いました。追って国際社会は非難の声を挙げましたが、北朝鮮外務省の報道官は8日にミサイル発射について「米韓合同軍事演習などには何も言わず、我々の正常で自己防衛的な軍事訓練についてだけ挑発であると言いがかりをつけている」けん制しました。そして翌9日、今度は西部の亀城付近から2発の弾道ミサイルを領土通過する形で東へ放ち、最大420km先の日本海上へ落としたのです。アメリカ国防総省はすぐに発射された飛翔体が短距離ミサイルだったと分析結果を公表し、国連安全保障理事会の制裁決議違反だと北朝鮮を批判しました。

 あわせて各国の軍事専門家は9日に発射された短距離ミサイルがロシア製短距離ミサイル「イスカンデル」と酷似していると指摘しており、北朝鮮が米朝首脳会談と並行して進めていた中露との融和交渉の裏でイスカンデルを輸入した可能性が高いとの声も沸き立ちました。ただ、発射されたイスカンデルに似通っているミサイルは過去の軍事パレードで存在が確認されており、北朝鮮は既に開発済みだったイスカンデル似のミサイルを通じて経済制裁の影響下でも武器開発を続行させる覚悟。核ミサイル開発を継続させる覚悟があると暗に訴えたいのではとも見られています。加えて、今回のミサイル発射は周辺国へ悪影響を与えないよう北朝鮮領内で実験が完結できるよう配慮しており、経済制裁の解除と周辺国家との外交関係を踏まえた措置が随所に見受けられます。

 2度の米朝首脳会談で経済制裁解除の鍵を掴めなかった北朝鮮によるミサイル実験は、軍事独裁国家なりの威圧的な外交主張と捉えて間違えありません。一方で過去、周辺地域の緊張感を高めるようなミサイル発射を繰り返したことを踏まえれば、北朝鮮としても周辺地域の緊張感を高めないよう極力気を付けてミサイル実験を続行させようと苦慮している面が伺えます。

緊張感を高めたくないアメリカ

 外交への影響に細心の注意を払いながらもミサイル開発を推し進めたい北朝鮮にとって、ロシア製ミサイルを輸入・模倣して自国領土内で実験に及んだ動きは荒事に発展する影響を最小限に抑えつつ、場合によっては対米軍事路線を再び採りかねないとアピールするのに都合の良い手法と言えるのです。

 対してアメリカも2度の米朝首脳会談を重ねて和平交渉を進めている点を踏まえて北朝鮮との関係悪化は望んでいません。アメリカのドナルド・トランプ大統領が4日のミサイル発射後に「彼(金正恩党委員長)は私が味方であることを知っており、私との約束を破りたくない」という寛容なツイートを残し、アメリカや日本の大手メディアもトランプ大統領の発言になびかれてか。発射されたミサイルを「飛翔体」として扱い、北朝鮮が過去にミサイル実験を繰り返した時期と比べて明らかに抑制的な報道を繰り返しました。しかし9日に再びミサイル実験が実施されアメリカ国防総省がミサイル認定すると、トランプ大統領は「我々は極めて深刻に見ている。飛翔体は小さな短距離ミサイルだったわけで、ミサイルは誰もハッピーにしない」と記者団の前で述べています。

 こうしたトランプ大統領の発言から切り取ってもアメリカ政府が北朝鮮との緊張感を高めたくない思いが伺えますが、明らかな「ミサイル」を「飛翔体」と報道するメディア各社の姿勢に驚かれた読者の方々も多いでしょう。結局、トランプ大統領もメディア各社も米朝関係への影響を過敏に気にしているため緊張感を高めるような振る舞いを避けたいのが本音といえるのです。

極貧化する地方民

 北朝鮮と対立しているアメリカ大統領やメディア各社が抑制した意見発信を繰り返したのは、何もミサイル実験を憂慮するだけでなく北朝鮮国内の人道危機を懸念しての節もあります。国連やアメリカが発動している経済制裁の影響は北朝鮮国内の食料事情にも大きな打撃となっており、農作物の大不作も相まって1000万人以上の北朝鮮国民が餓死の危機に立たされています。

 昨今、世界各地で異常気象による影響から災害が多発していますが北朝鮮でもここ40年近くで最悪規模の干ばつが国民に襲い掛かっており、平壌から離れた地方農村部では「自力更生」のスローガンの基で微々たる収穫物を強制徴収される事態が発生しています。「自力更生」とは敵対勢力の経済制裁に屈することなく産業を活性化させるという北朝鮮国民の基本理念として共有されているもの。ですが、干ばつや経済制裁の影響が色濃く出始めた2018年ごろから朝鮮労働党はしきりに「自力更生」を謳うようになり、極貧化する農村民に対して強引な農産物供出を実施するようになりました。無論、雀の涙ほどしかない農産物を奪われた影響で衰弱しきった農民が続々と死亡している一方で、供出する北朝鮮軍内部でも十分に食料が行き渡っていないため地方では軍部そのものの威厳すら損なわれている状況です。

さらに、しわ寄せは経済制裁で中国への輸出向け鉱石を切削できない採掘場にも影響を与えており、食糧配給を頼りに働いていた現場労働者が配給停止となった途端に無断欠勤するケースが激増しています。北朝鮮で兵役を終えた男性は国家機関への配属が強要されており、違反した者には刑務所送りにされるなど厳しい刑罰が待っています。にも関わらず干ばつや経済制裁の影響で採掘場では仕事が激減。農作物の不作も相まって、鉱山では仕事がないのに食糧配給だけを目当てに出勤する飢えた労働者が日増しに多くなりました。そして、シンガポールで開催された米朝首脳会談後も核廃絶が進まないのと並行して採掘場の食糧配給も止まり、次第に労働者が現場監督に賄賂すら渡さず無断欠勤する状況に陥っているのです。

 「自力更生」という国内産業のみで経済制裁を打破する方針を国民に強要している朝鮮労働党ですが、その実は度重なるミサイル発射に伴う経済制裁と大規模干ばつの影響で国民が「自力更生」できる生産力すら持ち合わせていない状況が続いています。たとえ北朝鮮軍が国際社会に配慮してミサイル訓練に臨んでも、その悪影響を諸に受けるのはミサイル実験を強行した北朝鮮軍周辺ではなく貧困に喘ぐ国民に他なりません。

和平意識からの寛容報道

 盛り上がった和平ムードを打ち消したくないのは北朝鮮もアメリカ他関係諸国も同じです。しかし、支配体制を維持したい思惑がある金正恩党委員長にとって核ミサイル開発は外交上の鍵でもあり、今回のミサイル実験の影響も踏まえて長距離弾道ミサイルの国内実験を強行する可能性すら噂されはじめています。

 対してアメリカを筆頭とする国際社会は国民の40%近くが食糧危機に瀕している北朝鮮の現状を危惧しており、韓国政府もミサイル実験の悪影響を無視してでも食糧支援を実施する構えを見せています。こうした北朝鮮との敵対国家の穏健な動きからも、日米韓のメディア各社が抑制的な報道でミサイルを「飛翔体」と伝えたのでしょう。ただ北朝鮮は東倉里の核ミサイル実験場の復旧作業に取り掛かっており、餓死と隣り合わせの自国民を放置して核実験が行われても不思議ではないのです。