韓国人ツアー観光船の沈没から考えるハンガリーの防災意識

 ハンガリーの首都・ブダペストにて、韓国人ツアー客を乗せた観光船が沈没してハンガリーと韓国で大きく話題となっています。韓国政府も急ぎ現地調査団を派遣してハンガリー政府と共同で真相解明に動き出していますが、ブダペストを流れるドナウ川では観光船が常日頃から行き交いしているため、観光船の運営体制に今後大きな影響を与えると見られています。

事件の概要

 事件が発生したのは2019年5月29日21時頃。ブダペスト中心を流れるドナウ川にて大型クルーズ船ヴァイキング・シギュン号が、韓国人33人とハンガリー人乗船員2人を乗せた観光船Hableany号へ背後から追突して7秒後に沈没しました。その日のブダペスト市内は昼間から降り続いた豪雨の影響でドナウ川は増水しており流れも速くなっていました。

 韓国政府は重大事故だと判断して30日、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が「ハンガリー政府と協力して可能な資源を総動員して救助活動」するよう緊急指示を発令しました。仁川国際空港からは韓国外交部職員や救助隊など18人からなる観光船沈没対策チームが出国してハンガリー当局と共同調査に乗り出しました。すでに沈没した観光船の乗客のうち7人が死亡・21人が行方不明となっており、聯合ニュースによると乗船者リストの中には6歳の子どもから70代のご老人まで含まれていたと報道しています。現地入りした韓国の康京和(カン・ギョンファ)外相も「救助された人たちと家族が望む通りの支援が受けられるよう最善を尽くしたい」と記者団の前で発表しています。

 すでにハンガリーの裁判所は一連の事故を受けて観光船ヴァイキング・シギュン号のウクライナ人船長へ逮捕状を送付しており、1,500万フォリント(約560万円)の保釈金などを要求していますが検察が異議を申し立て船長の身柄は拘束されたままとなっています。船長自身も「事故に故意性はなかった」と発言しているため、依然として逮捕されるか無実で釈放されるのかは不透明です。

美しい街ブダペスト

 韓国とハンガリー間の国際問題となっているドナウ川で発生した観光船沈没事故ですが、そもそもハンガリーのブダペストとはどのような街なのか。ヨーロッパ有数の美しい街が歩んできた歴史にも触れながら現地の観光事情について記していきます。

 現在に続くブダペストの街が形成されたのは2世紀初頭、ローマ帝国が進行してきた頃に形成されたアクインクムという古代都市が発端とされています。4世紀から8世紀にかけてフン族がハンガリー領内を進行して、ゲルマン民族の大移動が活発となるとマジャール人(ハンガリー人とも)がドナウ川西側のブダ地域に定住をはじめ、西暦1000年にハンガリー王国を成立させアクインクム周辺に首都機能を置きました。そして13世紀に入ってモンゴル民族の襲撃を受けると1361年に首都を現在のブダペスト中心地へ遷都させ、哲学や科学といった書物が多く発行されてルネサンス文化を積極的に輸入しました。ですが、16世紀から18世紀にかけてオーストリア帝国とオスマン帝国の統治を受けると国力が削がれ、1718年にハンガリー王国はオーストリア帝国へ併合されました。

 ただ、18世紀末に入ってブダの街はオーストリア首都ウィーンの街と見紛うほどに建設ラッシュが進み、現在の美しい観光都市の素地が築かれました。オーストリア=ハンガリー帝国体制に移行するとブダは隣接するオーブダとペストと合併してブダペスト市となり、マジャール人自治の象徴として1904年には国家議事堂が完成するなど風光明媚な大都市として整備されました。こうして2度の大戦と共産時代を経て、ブダペストの街は東欧の中心都市として機能するだけでなく世界中から観光客が集まる美しい都市となったのです。そしてブダペストの観光コースとして長く人気を博してきたのが、沈没事故騒ぎとなっているドナウ川の観光船クルーズです。ブダペスト市内のドナウ川岸には先述の国会議事堂などが林立しており夜間になると非常にきれいな夜景が眺められ、東アジア圏の旅行会社も積極的にツアーコースに組み入れています。

 オーストリアを筆頭とした周辺国家の影響を吸収していったブダペストの街は観光地としてハンガリーが誇る首都となっているのです。一方で西欧圏への人口流出が止まらず地場産業の沈没が不安視されているハンガリー社会において、ライン川クルーズは貴重な外貨獲得手段として重要視されているのが現状です。

観光船沈没の原因を考える

 積み重ねてきた歴史からブダペストは観光都市として発展してきたわけで、今回発生した沈没事故で韓国人ツアー客が犠牲になったことはハンガリー政府としても非常に憂慮している事態でしょう。ですが、報道各社が注目している事故原因を見てみると観光船の運航体制に問題があったとする伝え方が目立ちます。

大雨による増水

 各社とも最も注目しているのはブダペストで当日降り続いた大雨です。ブダペスト市内は5月29日日中より、あちこちで浸水するほどの暴風雨に見舞われていました。当日は市内でトラックが立ち往生するだけでなく街中で木が倒れ、ブダペスト地下鉄も運転見合わせとなるなど市民生活に大きな障害が発生していたのです。当然、ドナウ川も豪雨の影響で水量が増して流れも速くなっていたことは想像し難くありません。それでも韓国人ツアー団体を載せた観光船は運航を強行したのです。

観光船の交通量

 豪雨に見舞われながらも、ドナウ川を航行していた船が韓国人ツアー客を乗せた観光船と大型クルーズ船だけではなかったことも事故の原因とされています。大雨によってドナウ川の水位が上昇して流れが速くなっていたにも関わらず、沈没に絡んだ2隻以外にも多くの船舶がドナウ川を航行していました。特に事故が発生した21時頃は小型船が大型船のすき間を縫うように航行する様子も見られるほど混雑しており、操舵性が高くない河川用の観光船同士がいつ衝突してもおかしくない状況でした。しかし、逮捕状が出されている大型クルーズ船の船長が「大雨が降り視野が制限されていたため事故を回避できなかった」と証言している通り、当時のドナウ川は豪雨による増水だけでなく大雨で視界が悪く沈没事故が発生しやすい条件が揃っていたのです。

ドナウ川クルーズの運営体制が問われる

 人口減少など諸般の課題を抱えるハンガリーにとって、ブダペストのライン川クルーズ観光船ツアーは海外へブランディング戦略を組める貴重な観光資源です。しかし、暴風雨に見舞われた日の夜に観光船クルーズを自重するようアナウンスしなかったのは大きな痛手だったと言わざるを得ません。仮にブダペスト市が観光船運航の緊急欠航措置などを採っていれば、韓国人ツアー団体が観光船沈没に巻き込まれる事故は発生せずに済んだでしょう。

 ハンガリーは日本のように災害大国ではありませんが、それでも韓国人ツアー客の人命を守るために観光船の運航を中止する現場判断は下せたはずですが、当日のドナウ川水面には多くの観光船が引っ切り無しに通行していました。つまり、いかにハンガリー国民が暴風雨などの災害対策に無頓着だったのかを韓国、ひいては国際社会に示してしまったとも受け取れるのです。ハンガリーと韓国両政府による共同調査は今後も続いていきますが、今後はライン川クルーズの営業には多大な悪影響を与えるのは間違いありません。ハンガリー政府としても観光船沈没という重大インシデントを教訓として、観光船各運航会社へ規制を敷くなど相応の対応を採らなければブダペストの外国人観光客は減少していくでしょう。