米韓合同軍事演習に反発してミサイルを連射する北朝鮮

 夏の米韓合同軍事演習実施に反発して北朝鮮は2019年7月下旬から8月上旬にかけて短距離弾道ミサイルを2発ずつ発射しました。アメリカとの和平交渉で行き詰まりを見せる北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長はハノイの米朝首脳会談が不調に終わり、親米融和を推進していた側近を整理して再び軍事路線へ軌道修正しようとしています。

和平交渉の停滞

 平昌五輪をキッカケに融和の道が開けた北朝鮮と韓国が板門店宣言に署名した出来事に呼応し、アメリカもシンガポールにて史上初の米朝首脳会談を開催して北朝鮮と向き合いました。しかし、外交カードのいの一番とする核ミサイル開発を誇示したい北朝鮮の姿勢に和平交渉は停滞。ベトナムのハノイで開かれた2回目の首脳会談は収穫のないトップ対談となり、北朝鮮は国連やアメリカからの経済制裁も解除できませんでした。

 業を煮やした金委員長はアメリカとの和平交渉に従事してきた融和派の外交官を次々に更迭し、代わって従来の軍事路線維持を訴えてきた党幹部たちを厚遇して側近ポストを刷新しました。2019年5月に入ると北朝鮮軍は2度のミサイル発射を強行、国際社会からの厳しい批判に反発して軍事訓練だとミサイル打ち上げの正当性を訴えました。対して、アメリカのドナルド・トランプ大統領は米朝間の緊張が走らないよう「ミサイルは誰もハッピーにならない」と語気を抑えたコメントを残して、国際社会の北朝鮮追求が一枚岩ではない現実を突き付けました。北朝鮮が最大の敵対国と見なしているアメリカの言動が5月、そして7月のミサイル発射を促したと指摘されても否定できないのです。

 この前段階として、トランプ大統領は南北融和ムードと米朝首脳会談の実現から北朝鮮のミサイル核実験の抑制を狙い、2018年8月と12月に実施予定だった訓練を中止させるなど軍事戦略的な譲歩策も採ってきました。ですが、ミサイル核実験を継続させたい本音がある金委員長にとって不十分な措置だったことは、年末年始にかけて実施された水面下の交渉が満足に進まなかったこと、続く2019年3月のハノイ米朝首脳会談が空振りに終わったことからもよく分かります。ハノイ会談後には春の米韓合同軍事演習が規模は縮小して実施する緊張緩和への動きもありましたが、軍事路線派に脇を挿げ替えた北朝鮮がミサイルを連射した事実から読み取れるように、金委員長が米韓側の譲歩を受ける気がない姿勢をうかがい知れます。米韓両国も5月のミサイル発射を受けて北朝鮮へ緊張感を高めざるを得なくなり、夏に控えた大規模合同軍事演習の具体的な日程を直前になっても詳しく明かせない状況となりました。そうした判然としない焦らしが金委員長の癪に障った末、7月25日31日。8月2日のミサイル発射が強行されたとなれば腑に落ちる話ではあります。

 立て続けにミサイルを発射した北朝鮮に融和姿勢を示してきた韓国大統領府も、国防白書から消した「北朝鮮=敵」という表現を敢えて用いて非難するなど1年前とは真逆の立場を示しました。一方、トランプ大統領は短距離ミサイルの発射だと認めた上で「信頼を裏切る行為とは全く考えていない」と自重したコメントを発表しており、米韓の間で対北朝鮮制裁への温度差が生まれています。

軍事演習を中止へ追い込む好機

 そもそも、北朝鮮にミサイルを発射させるほどの脅威となっている米韓合同軍事演習とは何なのか触れておきましょう。通常、韓国とアメリカは毎年春と夏になると朝鮮半島の有事に備えた大規模な軍事訓練を実施して連携体制の維持を図ります。これは、在韓米軍の兵士が約1年サイクルで入れ替わる事情もあり朝鮮戦争の再開戦も想定して実施されている節もあります。

 歴史としては1976年の朴正煕政権時代に始まった合同訓練を起源としており、1994年に北朝鮮が国際条約である核兵器不拡散条約から脱退したのを機に演習内容が見直されて現在の形式となりました。春の演習「フォールイーグル」と「キーリゾルブ」では野外機動訓練と指揮所訓練が同時に実施され、夏の「ウルチ・フリーダム・ガーディアン」は韓国軍を主体とした極地戦図上訓練が行われます。毎年実施される大規模な軍事訓練にかねてより北朝鮮は遺憾の念を米韓へ伝えてきましたが、米朝首脳会談の実現によって訓練規模は縮小され、北朝鮮側も核ミサイル実験を自重してきました。

 しかしながら、和平交渉中を良いことに事実上の後ろ盾と化しつつあるトランプ大統領が在韓米軍の撤退を訴えていること、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が南北併合を目指して北朝鮮に軍事外交を仕掛けない状況を踏まえ、金委員長は米韓合同軍事演習という自国への脅威を軽減させる千載一遇の好機だと捉えているのです。北朝鮮がミサイル発射の理由を「米韓合同軍事演習の実施への反発」と高らかに叫んでいるのは、自国に迫る軍事的脅威を振り払いたい意図があります。

 ただ、北朝鮮のミサイル挑発に米韓側も流されているわけではありません。2019年7月30日の韓国国防部による発表からは「ウルチ・フリーダム・ガーディアン」から名称が変わるものの、夏の訓練は例年規模で実施されると見られています。合同軍事演習の目的が北朝鮮への有事対応という点を踏まえても米韓としては妥協できない姿勢を示した格好です。

ジリ貧国家背水の陣

 トランプ大統領という外来の錦の御旗を掲げてミサイル発射を絡めた強気の挑発をしている北朝鮮ですが、その足元では依然として出口の見えない経済制裁に国民は極貧生活を強いられています。外交的に余裕のある状況に持ち込めているとはいえ、北朝鮮の財政事情が日々悪化している事実に変わりはありません。

 例を挙げれば、輸入石油燃料の枯渇で日本海のイカ釣り漁へ出漁できなくなった人々は収入源を失い、食糧配給に依存していた鉱山労働者が配給不足を理由に仕事をボイコットするケースも増加しています。加えて2019年に入ってからはここ40年間で経験したことのない規模の大干ばつにも見舞われており、全国民の4割近くに相当する約1,000万人が食糧不足による餓死の危機に直面しているとの推測も発表されています。金委員長が是が非でも維持したいミサイル核開発によって多くの国民が毎日命を失っている。そんな非人道的な現実が現在進行形で起こっていることは想像し難くないでしょう。

 経済制裁の長期化に従って朝鮮労働党は自力更生のスローガンを掲げて国民の「引き締め」を図っていますが、精魂失った国民感情に響くはずもなく今日も北朝鮮ではミサイル外交の犠牲となる大多数の貧困層が命の危機に瀕しています。しかし支配体制の崩壊を恐れている金委員長は国体を維持するため、国民の惨状を無視したミサイル外交策を今後も推進していくことは読者各位も分かっているはずです。

守護神トランプの影

 北朝鮮が米韓合同軍事演習に対する警告としてミサイルを発射するのはアメリカのトランプ大統領を南北軍事境界線で出迎え、握手して交友ぶりをアピールする位には信頼関係を築けたこと。韓国の文大統領が南北間の武装衝突を望んでいないこと。そして、国内の支配体制を維持するための威厳欲しさの3点が挙げられます。

 ただ、これらの状況をお膳立てしたのはトランプ大統領による外交の揺さぶりによるところが大きく、金委員長が自発的に動いた面が少ないのが事実です。さらにトランプ大統領はアメリカ内部の大統領選挙において不利に立たされている状況もあって、お墨付きをもらっている金委員長はトランプ大統領の影響力が確実に反映される今のタイミングで米韓合同軍事演習を中止に追い込みたい。あわよくば、南北併合交渉もアメリカに便宜を図りたい考えが見え隠れしています。金委員長は韓国に向けて演習中止を訴えながらもその実、トランプ大統領という都合の良い印籠に依存して来る南北併合交渉を有利に動かしたいのです。