マクリ大統領が招いたアルゼンチン経済破綻危機の原因

 アルゼンチンが事実上の経済破綻状態に陥ったと世界中の投資家たちが騒いでいます。2019年8月末、世界の大手格付け会社が一斉にアルゼンチン債務を返済期限が守られていないデフォルト状態と評価。アルゼンチン政府は返済期限の延長嘆願や国内銀行の預金引き出し規制を設けるなど対応策に苦心しています。

マクリ経済策の低迷

 2001年の経済破綻によってアルゼンチン国内では貧困が蔓延しましたが、故ネストル・キルチネル元大統領とその妻クリスティーナ・キルチネル前大統領の夫婦政権による変動相場制(※2)を活用した輸出推進政策や社会保障拡充によって、国民の生活水準は幾分改善の兆しが見えていました。

 対して、バラマキ政策と揶揄されるほど左派的な経済政策を次々に実施したことに加え、リーマンショックにともなう世界経済全体へ広がったダメージ、過剰な中国資本への接近などからアルゼンチンの富裕層は未だ経済危機を脱していないと痛感していました。こうした経済破綻を経験してもなお抑えられない過剰なインフレ傾向に不安を持ったインテリの声に後押しされ、2015年には実業家出身のマウリシオ・マクリ氏が大統領へ就任します。マクリ大統領は就任後、新規外貨獲得と債務返済スピードの加速を狙って新たな国債を発行するだけでなく、国民生活に根付きつつあったキルチネル政権時代からの社会保障政策を縮小させるなど、IMF(国際通貨基金)と連携して長期的な債務返済を念頭とした緊縮財政策を推進しました。しかし、アメリカでUSドルの政策金利(※1)引き上げられると、2001年の経済破綻以前から市場で往々にUSドルが流通していたアルゼンチン経済のインフレ率はさらに悪化したのです。

 ただでさえ目の前の暮らしが見えない。不安感が募る現状に怒りを顕わにしたアルゼンチンの労働者層はストライキを繰り返し、マクリ政権に目先の国民生活を改善するよう訴えるデモがアルゼンチン各地で頻発するようになりました。ですが、2018年夏頃にアメリカとトルコの外交関係が悪化すると新興国通貨が軒並み通貨安に陥り、アルゼンチン・ペソも例外なく市場価値が大幅に下落します。マクリ大統領もIMFと締結した財政健全化策の見直しを迫られ、政策金利を70%に引き上げる強行策に踏み切り市井の人々から大きな非難を受けました。それだけでなく、アルゼンチンの主要産業とされる外資依存の自動車業界が国内工場を軒並み操業停止にされる事態に追い込まれ、経済循環をより鈍化させかねないリスクが一つ増えました。海外投資に依存した経済再建策に失敗したマクリ政策の影響は、2019年10月の本選挙を前に実施された次期アルゼンチン大統領予備選挙でも色濃く反映され、政権を下野したキルチネル前大統領が支持するアルベルト・フェルナンデス候補が現職のマクリ大統領に大差で勝利する結果をもたらしました。

 こうした、バラマキ政策を是とする左派政党の躍進に投資家心理が作用して予備選挙終了後から急激なペソ安が進行しました。マクリ大統領が返済期限延長計画を発表したこともあって、世界の3大格付け会社は足並みを揃えてアルゼンチンが一時的にデフォルト状態、事実上の経済破綻状態に陥っていると判断したのです。

1:政策金利
 自国の金融機関へ貸付する際に政府が設定する金利のこと。一般的には好景気のときに数値が挙げられる傾向にあるが、トランプ大統領によるアメリカ企業優遇策へ反発したアメリカの中央銀行に相当するFRB(アメリカ連邦準備制度理事会)が政策金利を引き上げた。これにより、アルゼンチンを含めたUSドルの貨幣価値に依存する各国家の経済情勢が軒並み悪化している。

過去の経済破綻史

 刹那とはいえ、デフォルトの末に経済破綻状態と判断されたアルゼンチンですが、過去7回も経済破綻を経験している国家に投資家も失望しています。特に2001年の経済破綻は今回発生している通貨価値下落の遠因にもなっており、時間の経過と合わせて政府と国民との経済対立を深めてきました。

 そもそも、アルゼンチンは第二次世界大戦以前までは世界有数の経済大国でした。広大な土地で生産される農産物は欧米向けに輸出され多額の利益を生み出しましたが、イギリスを中心とする外国投資に依存した経済体制を定着させて社会問題となっていきました。第二次大戦終了後の1946年。純アルゼンチン資本による工業化を推進したいフアン・ペロン将軍が大統領に就任すると、戦後世界一と謳われた外貨貯蓄量を5年で使い果たしたにも関わらず重工業化に失敗しました。にも関わらず、ペロン将軍が掲げた共産主義や左派的な考えだけは大衆に浸透して右派と左派の対立を激化させ、果ては軍事独裁政権による人権侵害やフォークランド紛争の敗戦を招き経済を混乱させました。

 民政移管が実現した1982年以降も経済の不安定感は修正できず、1989年に発生したハイパーインフレによってアルゼンチンは経済破綻します。その際はドルペッグ制から変動相場制(※2)に移行してインフレを抑制する施策などが採られましたが、1999年に当時の最大輸出先だったブラジルに経済危機が押し寄せると、逆に変動相場制の悪い波を受け取る形でアルゼンチンは2001年末にまた経済破綻したのです。一連の経済破綻を繰り返す過程でアルゼンチン国内では経済格差が広まるだけでなく、生活水準が保証されないと危機感を抱いたインテリ層がスペインなど南欧国家へ逃れていき治安も悪化しました。ことさら2001年の経済破綻ではわずか2カ月ほどで150億USドルもの政府資金が失われ、国民は政府を信用しなくなりました。

 こうした喫緊の貧困に対応するため、ペロン将軍の左派的思想を引き継ぐペロン党所属のキルチネル大統領夫妻はバラマキ政策によって事態解決を試みたのです。しかし、長期的な債務対策を優先しない姿勢に嫌悪感を持った少数のインテリ層がマクリ大統領を押し上げ、国の借金を減らす努力を大衆の声を聞かず推進しました。当然、国民の大多数を占める一般庶民がそれを許すはずもなく、マクリ大統領は緊縮財政策と国民の怒りの板挟みとなっています。

2:変動相場制
 自国通貨の基準となる他国通貨を設定せず、自国通貨の需要と供給を世界中の株式市場の反応に委ねる外国為替制度。海外で発生した不景気の影響を受けやすいが、逆に外資企業からの投資を自国に呼び込みやすくなるメリットがあり、今日では世界標準の為替制度となっている。2001年の経済破綻以前、アルゼンチンはUSドルを自国通貨の価値基準とするドルペッグ制度を採用していたが、経済破綻後にIMFからの介入もあって変動相場制へ移行している。

デフォルトは再び起こる

 今日、アルゼンチンで一般的なマンションを借りるにもUSドル支払いでないと相手にされません。アルゼンチン・ペソが不安定な通貨として世界中の投資家から急速に信用を失っている現れとも言えるでしょう。まして、大統領予備選挙でバラマキ政策を善とするペロン党の候補が大勝した状況に、大手格付け会社も経済破綻のリスクが大だと判断を下しています。

 一方、空前のペソ安によって外国人観光客が押し寄せる現象も起きており、マクリ大統領も格安となった自国農産物を海外へ輸出することで経済破綻の危機を脱していこうと訴えています。かといって、100年債という返済できるのか怪しい国債を発行したそばから価格が急落したアルゼンチン・ペソの変動を踏まえて、経済破綻を回避するのは「奇跡に等しい」と豪語するアメリカの専門家もいる始末です。不安要素ばかりのアルゼンチン経済が破綻を免れるには、引き続きマクリ政権による緊縮財政策の維持が最低条件とも形容できるでしょう。