アメリカ軍による空爆攻撃で怒り悲しむイラン

 英雄として称えられていたカセム・ソレイマニ司令官がアメリカ軍に殺害され、イラン国内ではアメリカへの憎悪が高まっています。アメリカのドナルド・トランプ大統領は2019年末にイラク米軍大使館が親イラン派集団によって襲撃された報復としていますが、それ以外にもシーア派民兵組織をまとめていたソレイマニ司令官を抹殺が目的だったと考えられています。

英雄の殺害

 イランの隣国で政治腐敗が叫ばれているイラクでは10月より若者によるデモが長引いています。政権を担っている政治家の多くは親米派や親イラン派の議員が大半を占めており、汚職腐敗が蔓延している状況を変えようとミレニアム世代を中心に大規模デモを続けているのです。

 首都バグダッドでも状況は同じで、荒廃した生活インフラを改修しない政府に対する怒りが市内に混乱を与えていました。そんな最中、親イラク派の市民が2019年12月31日にバグダッド市内のアメリカ大使館を襲撃します。これは27日にイラク北部キルクーク近くのイラク軍基地がロケット弾で襲われアメリカ人が死亡し、アメリカ側が親イラク派民兵組織「カタエブ・ヒズボラ」の犯行だと断定して29日に報復空爆を実施したことに反発する動きでした。にも関わらず、アメリカ政府は親イラク派市民による無慈悲な襲撃だと業を煮やし、イラクに点在する親イラン派民兵組織を束ねるイラン革命防衛隊のゴッズ部隊を標的として、年明け1月3日にバグダッド国際空港近くで空爆を実施。指揮官のソレイマニ司令官以下、カタエブ・ヒズボラ幹部を含めた4名が死亡しました。

 イラン国内でソレイマニ氏死亡の報が流れると、首都テヘランなどイラン各地でアメリカ軍の空爆とソレイマニ司令官殺害に怒りを顕わにするデモが発生しました。対するトランプ大統領はTwitterで星条旗のみを掲載した投稿をするなど、アメリカ側の行動が正しいと誇示したのです。これに事の発端の地であるイラクの国会は5日、イラク駐留米軍の撤退を求める緊急決議を採択しました。イラク政府はIS防衛戦において中心的役割を果たしたソレイマニ司令官の殺害を「主権侵害」と判断し、法的拘束力はないもののアメリカ側に米軍撤退を促す姿勢を示したのです。アメリカ国内でも上院下院共に開戦を回避しようと大統領の戦争権限を制限する決議案が提出されるなど、悪化するアメリカ=イラン関係の対立回避に向けた動きは加速しています。

 しかし、トランプ大統領は仮にイラン軍が報復作戦に出た場合、1979年に発生したテヘラン米国大使館人質事件の人質数と同じ52ヵ所へ迅速に攻撃を加えると反論。対するイラン側も、2015年のバラク・オバマ政権時代に締結されたウラン濃縮制限合意を破棄すると宣言し、8日深夜から未明にかけてアメリカ軍が中心に成す有志連合軍基地へミサイル攻撃を実施しました。

ソレイマニ司令官の遍歴

ガセム・ソレイマニ司令官
※Wikipediaより

 アメリカによるソレイマニ司令官殺害はイランだけでなく、イスラム教シーア派界隈に大きな衝撃を与えるとともに深い悲しみを与えました。遺体がイラン国内を葬送中に死傷事故が発生するほど人々が集まって喪に服す様子からは、如何にソレイマニ司令官がイラン国民に親しまれていたか理解できるでしょう。戦乱が絶えない中東世界において、ソレイマニ司令官はどのような役割を果たしてきたのでしょうか。

 20代の頃はイラン革命に身を投じて親米王朝打倒を果たしたソレイマニ氏は、その後のイラン・イラク戦争において先陣を切って大胆な偵察作戦を実施するなど名声を挙げ、1990年代には民兵組織イスラム革命防衛隊のケルマン州司令官に任命されました。出身地ケルマン州でも麻薬取り締まりで実績を収め、若い頃から英雄視される活躍をしてきたソレイマニ氏は2000年、革命防衛隊の特殊部隊「ゴッズ部隊」司令官に任命されます。以来、ソレイマニ司令官は政府側の最高指導者アリー・ハメネイ氏の子飼いとして、イラク戦争やIS(イスラム国)の掃討作戦で各地のシーア派民兵組織を束ねる重要な役割を担い、シリア内戦でもシーア派アサド政権を手助けしたと言われています。一方、IS掃討時はアメリカを筆頭とする国連の有志連合軍に協力する態度を示しながらも、シリア内戦では大量のシリア難民を生み出す遠因を作ったソレイマニ司令官を敵視する世論は欧米社会で大にあり、トランプ大統領もソレイマニ司令官の存在を前々から危険視していました。

 事実、イランと敵対するスンニ派国家サウジアラビアとの代理戦争が続いているイエメン内戦では、少なからずゴッズ部隊によって手配された武器が内戦の長期化を促していると言われています。イラク駐留軍の早期撤退を考えているトランプ大統領にとって、ソレイマニ司令官の存在は地域の緊張感をいたずらに高めている存在でしかなかったのです。

自重発言あったとはいえ

 イラク軍基地への攻撃にはじまった双方の応酬はソレイマニ司令官殺害によって連鎖が加速し、イラン正規軍による報復ミサイル攻撃が実施されました。さすがのトランプ大統領も事態が思ったより悪化している状況を憂慮してか、イラン軍が事前通告して攻撃した点などを引き合いに自制したコメントを発表しています。事態を過熱させたトランプ大統領ですら、米中貿易摩擦などの不安を抱えた状況で戦争するのは得策ではないと判断しているのです。

 これに関連して、イラン軍のミサイル発射によってウクライナ国際航空のボーイング737-800型機が誤って撃墜される事故が発生しています。事態が明るみとなった当初、イランは「飛行機がミサイルに撃墜されたわけではない」と強気の反論をしていましたが、ほどなく犠牲者が出たカナダが地対空ミサイルによる墜落の確たる証拠があると発表、欧米各国はこれを支持しました。イラン政府は「フライトレコーダーの調査に参加する」としたものの、調査が進むとイラン軍の人為的ミスによって飛行機が撃墜されたことが判明しました。するとイラン政府はロウハニ大統領自らが被害当事国のウクライナへ公式謝罪する異例の行動を取り、事を荒立てず事態鎮静化を狙う動きを見せました。

 ただ、イランのムハンマド・ザリフ外相は「アメリカの冒険主義が起こした人為的ミスだ」と依然として挑発的なトランプ大統領の対応に憤っており、燻っている火種が何かの拍子で燃え広がるリスクは回避できていません。ソレイマニ司令官という安保情勢上重要な人物の喪失にイラン政府も緊張感を解いていません。

イランの安保危機

 年末年始に起こった中東情勢の変化は国際社会に衝撃を走らせました。世界中のSNSトレンドワードで「イラク」「第三次世界大戦」といった言葉がトレンド上位に何日も挙がった点を踏まえれば、トランプ大統領による開戦を望むような言動が世界情勢をかき乱したか理解できます。

 有志連合軍に参加している各国からも反発は根強く、ドイツがイラク駐留軍の一部撤退を発表するなどトランプ大統領の好戦姿勢にハッキリとNOを突きつけました。会見で自制した発言をしたのも、有志連合陣営の瓦解を自らの言動で招いたトランプ大統領もこれでは戦うことが出来ないと判断したのでしょう。対して、イランが隣国イラクのように幾度となく戦争沙汰が発生しても国内で目立った争いが発生しなかったのは、ソレイマニ司令官率いるゴッズ部隊がイラクやシリアで地元民を民兵として育て上げ、イランにとって明確な防衛ラインを引いていたからです。ソレイマニ司令官亡きいま、イランの安保情勢が揺らぐのではないかと当のイラン国民は不安感を拭えずにいます。ゴッズ部隊が壊滅しているわけではありませんが、英雄ソレイマニの死はイラン世論に悲愴感と反米心を植え付けているのです。